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2007年06月03日11:07

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「スパルタ教育」 とは誰が言い出したのか?

▲レダマ(スパルトス)。▲スパルタの劇場遺跡。▲古代ギリシャの都市国家群。



〓きのうの 「ふしぎ発見」 は、映画 『300』 がらみで、「スパルタ」 がテーマでした。優美なる 「アテーナイ」 と、無骨なる 「スパルタ」。けっきょく、軍事国家 「スパルタ」 が残したのは、「スパルタ教育」 というコトバだけですね。

〓「スパルタ」 という都市国家名は、ギリシャ語の中でも “ドーリス方言” (ドーリア方言) と言われる方言による名前です。アテーナイを中心とした “アッティカ方言” では、「スパルテー」 と言いました。

   Σπάρτη Spartē [ ス ' パルテー ] アッティカ方言
   Σπάρτα Spartā [ ス ' パルター ] ドーリス方言
         (スパルタ語名)

〓ラテン語では、通常、Sparta [ ス ' パルタ ] と言い、それが後世に通用しているものでしょう。

〓ところで、世界史で習う 「アテ(ー)ナイ」 と、今のギリシャの首都 「アテネ」 が同じものだと知らないヒト、あるいは、同じなのかどうか悩んでいるヒトは多いんじゃないでしょうか。
〓これはね、同じ地名なんです。文字の読み方が、古代ギリシャ語と現代ギリシャ語で異なっているだけです。「日向」 に対する、「ひむか」 と 「ひゅうが」 みたいなモンです。

   ’Αθη˜ναι Athēnai [ ア ' てーナイ ] 古典語
     英語名 Athenes [ ' アすぃンズ ] 複数形
    ↓
   ’Αθη˜ναι Athine [ ア ' すぃーネ ] 擬古典語 (カサレヴサ)
    ↓
   Αθήνα Athina [ ア ' すぃーナ ] 現代口語 (ディモティキ)

〓「アテーナイ」 というのが古典語で、「カサレヴサ」 と呼ばれる文語による 「アスィーネ」 ないし 「アティーネ」 が、日本語の 「アテネ」 の語源です。θ の発音は、古典語では [ th ]、現代語では [ θ ]。
〓「現代口語」 (ディモティキ) というのは、アテネを中心とした民衆口語のことです。20世紀後半から、ギリシャでも、文語 (カサレヴサ) を放棄して、書き言葉でも 「ディモティキ」 が使われることが多くなりました。さらに 1980年代からは、「モノトニコ」 と呼ばれるアクセント表記法が公式に採用され、古典語のような複雑なアクセント表記は廃され、“ ´ ” いっぽんやりになりました。
〓古典語、擬古典語 (カサレヴサ) では、「アテネ」 は複数形です。これは、古代ギリシャ人が、大きなポリスというものを 「いくつかの地区の集合体」 と考えていたことをあらわすと言われています。他にも、

   Θη˜βαι Thēbai [ ' てーバイ ] テーバイ
     英語名 Thebes [ ' すぃーブズ ] 複数形
    ↓
   Θήβα Thiva [ ' すぃヴァ ] 現代名

   Μυκη˜ναι Mykēnai [ ミュ ' ケーナイ ] ミュケーナイ
     英語名 Mycenae [ マイ ' スィーニー ] ※-ae はラテン語の複数
    ↓
   Μυκήνες Mikines [ ミ ' キーネス ] 現代名

などが、やはり複数形です。現代の民衆口語では、都市名は単数形であるという 「類推」 から単数形に変化しています。「ミュケーナイ」 の場合は、単数形ではなく、規則的な現代口語の複数形に変化させられています。

〓ところで、「スパルター/スパルテー」 という地名、どういうもんか、語源を云々しているヒトがいません。日本語はおろか、英語でも同様です。
〓ギリシャの地名というのは、しばしば、ギリシャ語では解釈不能である例が多く見られます。これは、ギリシャ語を話す民族が、もともと、ペロポネソス半島の先住民ではなく、北方のどこかからやって来たことを示しています。
〓「アテーナイ」 の名前は、都市の守護神である 「アテーナー」 ’Αθηνα˜ [ アテー ' ナー ] にちなむ、とされていますが、むしろ、その逆で、「アテーナイ」 の守護神が 「アテーナー」 と名付けられたのです。そして、「アテーナイ」 の語源は不明です。

〓スパルタ人は、もっとも遅く南下してきたギリシャ人の一派で、100年ほど先に定住していた別のギリシャ人の一派である

   アカイア人
     ’Αχαιός akhaios [ アカイ ' オス ] 単数
     ’Αχαιοί akhaioi [ アカイオ ' イ ] 複数

を征服し、奴隷化しました。数の上では、奴隷として支配される先住民のほうが遙かに多かったことが、スパルタという都市国家の軍事化を生んだ、と言われています。つまり、多数派の被支配民族を抑え込むために、少数の支配民族は、ハリネズミにならざるをえなかった、ということです。

〓アッティカ方言の Σπάρτη Spartē [ ス ' パルテー ] という語は、ギリシャ語でも解釈が可能です。

   σπάρτη spartē [ ス ' パルテー ]
      (スパルトスでこしらえた) ロープ

という単語がありますが、語源はこちらではなく、

   σπάρτος spartos [ ス ' パルトス ]
      レダマ (連玉)、ニオイエニシダ (Spanish broom)

のほうでしょう。「レダマ」 というのは、マメ科の落葉低木で、地中海沿岸に自生し、黄色い花を咲かせるものです。この 「レダマ」 は、日本にも江戸時代に入ってきています。
〓古代ギリシャでは、この木の繊維をロープにしたものなのか、「スパルトス」 の語尾を 「女性形」  -ē、あるいは 「中性形」 -ον -on に変えると 「ロープ」 の意味になります。
〓「ポリス=都市」 πόλις polis が 「女性名詞」 であることを考え合わせると、

   「スパルテー」 = レダマ (ニオイエニシダ) の都市

というふうに解釈できます。



  【 「スパルタ」 の派生語 】

〓ところで、「スパルタ教育」 というコトバは、いつごろ生まれたんでしょうか?
〓調べてみると、

   大江健三郎 『スパルタ教育』
       短編小説 1963年 (昭和38年)

があります。その6年後に、

   石原慎太郎 『スパルタ教育』
       教育論 1969年 (昭和44年)
       カッパブックス

が出ています。おそらく、「スパルタ教育」 というコトバを有名にしたのは後者でしょう。この本はベストセラーになっています。
〓翌年、1970年には、この本を素材にした映画、

   『スパルタ教育 くたばれ親父』
       日活 1970年公開
       主演=石原裕次郎

が公開されています。

〓そもそも 「スパルタ教育」 という表現は、日本語以外ではほとんど使われないようです。スパルタでは、その男子市民の訓練のことを、「アゴーゲー」 と呼んでいましたが、その意味するところは、以下のとおりです。

   ’αγωγή agōgē [ アゴーゲ ' エ ]
     (1) 持ち去ること、連れ去ること。
     (2) 持ち込むこと、誘い込むこと。
     (3) (軍隊の)指揮、(国家の)指導。
     (4) 訓練、教育。
     (5) ふるまい、生活様式。

〓英語の訳語にした場合、つねに現れるのが to lead という動詞です。つまり、「とにかく、どこかへ向かって連れていくこと、指導すること」 です。「厳しく」 とか、「戦うために」 というようなニュアンスは入っていません。

〓「スパルタ教育」 に当たると思われる英語の表現を検索してみたら、次のようになりました。

  【 英語 】
   Spartan education (スパルタ教育) 781件
   Spartan training (スパルタ訓練) 27,100件

  【 日本語 】
   スパルタ教育 112,000件

〓どうでしょう。「日本人は、どれだけ “スパルタ教育” というコトバが好きなんだよ!」 と言いたくなります。英語における、Spartan education 781件という数字は、「そのような表現は “英語にはない”」 と言ってよい数字です。



  【 スパルタにまつわるもの 】

〓「スパルタの」 という形容詞は、上にも、すでに出てきていますが、

   Spartan [ ス ' パァタン ] スパルタの、スパルタ人(の)

です。これはラテン語の Spartanus [ スパル ' ターヌス ] の英語形そのままです。

〓ジャッキー・チェンの映画に、

   『スパルタンX』

がありますが、原題と英題は、

   “快餐車” faai3 chaan1 che1 …… 広東語題
   “Wheels on Meals” …… 英語題

です。中国語で 「快餐」 というのは、

   快餐 kuàicān [ くワイチャン ] 軽食 (snack)

という意味です。そして、

   快餐車 kuàicān chē [ くワイチャンちゅー ]
      移動軽食販売車 (fast food van)

という意味なんすね。邦題の 『スパルタンX』 というのは、映画とは何の関係もありません。ですから、タイトルと登場人物の名前だけ借りたアーケードおよびファミコン用ゲームの 『スパルタンX』 は、なおさら、映画とは関係ないのです。

〓ところで、「スパルタカス」 という名前を聞いたことがないでしょうか? ハリウッド映画にもなった、有名なローマの奴隷剣闘士です。ラテン語の正しい名前は、「スパルタクス」。紀元前73年、剣闘士養成所を抜け出したスパルタクスに、他の剣闘士・奴隷が加わり、大規模な反乱を起こしました。
〓彼は、東部ギリシャのトラキアから買われてきた奴隷剣闘士なので、出身地がスパルタということはありえません。しかし、この 「スパルタクス」 という名前は、あきらかに、

   Σπαρτακός Spartakos [ スパルタ ' コス ]
       スパルタの性質を持った(男)、スパルタ的な(男)

というギリシャ語のラテン語転写形なのです。つまり、「スパルタ人」 ではないが、「スパルタ人みたいなヤツ」 という意味で名付けられたんでしょう。
〓第一次世界大戦中、ドイツにマルクス主義者たちによる政治団体がつくられました。

   Spartakusbund [ シュ ' パルタクスブント ] スパルタクス団

と言います。理論的中心人物はローザ・ルクセンブルクでした。この団体は、のちに 「ドイツ共産党」 になります。

〓どうも、「共産主義」 と 「スパルタクス」 は相性がよかったようです。ソ連邦時代のロシア人男子の名前には、

   Спартак Spartak [ スパル ' ターク ] スパルターク

があります。これは、「スパルタクス」 のロシア語形です。
〓アラム・ハチャトゥリアンのバレエ曲には、『スパルターク』 があります。(日本では、『スパルタカス』、『スパルタクス』 と呼ばれていますが)
〓ロシア最強で最高の人気を誇るサッカーチームが、モスクワを拠点にする 「スパルターク」 ですし、その他のスポーツでも、「スパルターク」 を名乗るクラブチームがけっこうあるようです。

〓また、旧共産主義国家の国体とも言える 「スパルタキアード」 という競技会もありました。当初のもくろみとしては、オリンピックに対抗し、ソ連邦が音頭を取って開催する国際競技会を目指していたんですが、けっきょく、ソ連邦もオリンピックに参加することになり、「スパルタキアード」 は国際競技会とはならず、共産主義国家の国体になったんです。今では北朝鮮でしかお目にかからないようなマスゲームで有名でした。
〓英語では、「オリンピック大会」 のことを、

   Olympics  ← Olympic games
      オリンピック大会。英語

と言いますが、古代ギリシャ語では、中性名詞で、

   ’Ολύμπια Olympiā [ オ ' りゅンピアー ]
      オリンピック大会。古典ギリシャ語

と言いました。これに対し、オリンピックの行われる地名のほうは、

   ’Ολυμπία Olympiā [ オりゅン ' ピアー ]

と言いました。アクセントが違うだけです。ラテン語はアクセントが固定なので、両者を区別することができず、両者とも、

   Olympia [ オ ' りゅンピア ]
      地名 「オリンピア」、または、「オリンピック大会」。英語

となります。
〓なので、英語では、Olympic games などという言い方をするんですね。
〓ところで、ギリシャ語には、

   ’Ολυμπιάς Olympias [ オりゅンピ ' アス ]
       オリンピア紀。古典ギリシャ語

という単語があります。古代ギリシャで、オリンピックを基に数える 「4年単位の年代」 の数え方を言います。
〓この 「オリンピア紀」 という単語が、そのまま、「オリンピック大会」 をも指すことがありました。ロシア語は、「オリンピック大会」 を指すのに、この 「オリンピア紀」 という単語を借用して使います。

   ’Ολυμπιάς Olympias [ オりゅンピ ' アス ] オリンピア紀
     ↓
   ’Ολυμπιάδ- Olympiad- [ オりゅンピ ' アド- ] 隠れた語幹
     ↓
   олимпиад- olimpiad- 語幹をロシア語に写す
     ↓
   олимпиада olimpiada [ アりンピ ' アーダ ] 女性名詞の -а を付す
        ロシア語。「オリンピック大会」

〓ギリシャ語の υ は、ビザンチン時代には、[ y ] [ ユ ] ではなく、[ i ] と発音されていたので、この時代にギリシャ正教を採り入れたロシアでは、ギリシャ語の υ [ ユ ] が и [ イ ] となって現れます。
〓また、主格で隠れた語幹末の子音がある単語は、それを復活させてから、ロシア語の文法性に応じた末母音を加えます。
〓こういうワケで、ロシア語では、オリンピックを 「オリンピアーダ」 と呼びます。これに対応する英単語は、

   Olympiad [ オウ ' りンピ , アッド ] オリンピアード

です。英語でも、この単語で 「オリンピック大会」 を指すことがあります。

〓ところで、ソ連邦では、「オリンピック」 に対抗する大会を提案するときに、「オリンピアーダ」 に 「スパルタクス」 をカケて、

   Спартакиада Spartakiada [ スパルタキ ' アーダ ]
      スパルタキアード

と呼びました。ダジャレですね。
〓それを英語では、Olympiad に合わせて、「スパルタキアード」 Spartakiad と呼んだんです。


〓今日のお題は 「スパルタ」 でした。失礼すぱるた。


────────────────────

【 付記 】

「スパルタ教育」 というコトバの歴史について、少し再調査してみました。まず、「日本国語大辞典」 で初出 (初めて文字になって現れた年) を調べてみると、

  【 スパルタ式 】
   1925年 (大正14年)、芥川龍之介
   『大導寺信輔の半生』 (だいどうじしんすけのはんせい)
  ──────────
……挑戦は勿論一つではなかった。或時はお竹倉の大溝 (おおどぶ) を棹 (さお) も使わずに飛ぶことだった。或時は回向院 (えこういん) の大銀杏 (おおいちょう) へ梯子 (はしご) もかけずに登ることだった。或時は又彼等の一人と殴り合いの喧嘩 (けんか) をすることだった。信輔は大溝を前にすると、もう膝頭 (ひざがしら) の震えるのを感じた。けれどもしっかり目をつぶったまま、南京藻 (なんきんも) の浮かんだ水面を一生懸命に跳 (おど) り越えた。この恐怖や逡巡 (しゅんじゅん) は回向院の大銀杏へ登る時にも、彼等の一人と喧嘩をする時にもやはり彼を襲来した。しかし彼はその度に勇敢にそれ等を征服した。それは迷信に発したにもせよ、確かにスパルタ式の訓練だった。このスパルタ式の訓練は彼の右の膝頭へ一生消えない傷痕 (きずあと) を残した。恐らくは彼の性格へも、――信輔は未だに威丈高になった父の小言を覚えている。――「貴様は意気地もない癖に、何をする時でも剛情でいかん。」
  ──────────

  【 スパルタ教育 】
   1933年 (昭和8年)、尾崎士郎 (おざき しろう)
   『人生劇場・青春篇』
   ※さしあたって、原文は入手できませんでした。


〓つまり、どうも 「スパルタ式」 というコトバがあって、その延長に 「スパルタ教育」 というコトバがあるようです。
〓両者とも用例が、大正末期、昭和初期にあるとは言え、そののちも連綿として、日常用語として人口に膾炙したかというと、いささか疑問です。
〓というのは、「あらかわそおべえ氏」 の 『角川 外来語辞典』 を参照すると、

   1967年 (昭和42年) の初版では、「スパルタ式」 は立項
   されているものの、「スパルタ教育」 は採録されていない


のです。つまり、1967年の時点で、「あらかわそおべえ氏」 のもとに、「スパルタ教育」 の用例が無かったことを示しています。
〓「スパルタ式」 については、1948〜50年 (昭和23〜25年) に固まって現れているようすがわかります。つまり、このころに 「スパルタ式」 という言い方が流行っていたことを示します。

〓10年後の 1977年 (昭和52年)、『角川外来語辞典』 に 「スパルタ教育」 が立項されます。“第2版増補版” で、それも用例は1件のみです。

   『スパルタ教育』 石原慎太郎 1969年 (昭和44年)

〓つまり、石原慎太郎氏以前には、“スパルタ教育” という言い方が普通でなかったことが推測できます。むしろ、「スパルタ式」 という名詞で、あるいは、「スパルタ式訓練」、「スパルタ式教育」 という言い方のほうが主流であったようです。

〓その意味で言うなら、今現在、流通しているところの 「スパルタ教育」 という言い回しは、やはり、尾崎士郎にさかのぼるのではなく、石原慎太郎以降、ということが言えそうです。
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