おとといの 「世界ふしぎ発見」 でありますヨ。
レオナルド・ダ・ヴィンチが 「モナリザ」 を描いたのではないか、という説がある、フィレンツェの 「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」。その外壁に、ダ・ヴィンチの胸像が収められており、
LEONARDUS DE VINCIO
という名が刻まれておりました。これが、チョイとした驚きだったのであるネ。
…………………………
Leonardo da Vinci 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 というのは、イタリア語の名前であります。言い換えると、
イタリアにおける 「俗ラテン語形」
と言うことです。民衆の 「訛ってしまったラテン語」 の語形ですね。
近世に至るまで、イタリアで公的に用いられる言語は 「ラテン語」 でありました。公的な碑文などはラテン語で刻まれたんですネ。だから、
Leonardus de Vincio
[れオˈナルドゥス デー ˈヴィンチオー]
なんであります。
ところが、これが驚きの語形なのだな。なぜ驚きなのかは、これから説明いたしますが、説明を読んでもワカラン、というムキには申し訳ごぜりませぬが、これ以上ヤサシク説明はできませぬ。
…………………………
Wikipedia には 「ラテン語版」 もございます。すべてがラテン語で記述されているんですナ。ダ・ヴィンチの項目では、ダ・ヴィンチの名をラテン語で次のように記述しております。
Leonardus Vincius, sive Leonardus de Vinci, Leonardus Vinci
すなわち、
Leonardus Vincius [れオˈナルドゥス ˈヴィンチウス]
もしくは、(sive)
Leonardus de Vinci [れオˈナルドゥス デー ˈヴィンチー]
Leonardus Vinci [れオˈナルドゥス ˈヴィンチー]
となっております。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の壁に刻まれていた
Leonardus de Vincio [れオˈナルドゥス デー ˈヴィンチオー]
と異なるんですナ。
どういうことだろう?
…………………………
それぞれの語形を Google で検索してみやしょう。
Leonardus Vincius …… 2,950件
Leonardus Vinci …… 1,440件
Leonardus de Vinci …… 13件
――――――――――
Leonardus de Vincio …… 3件
ここで、ラテン語の講義をしておきませう。
まず、ラテン語には、
dē [デー] <前置詞/奪格支配> 「〜から」
ab [アブ] <前置詞/奪格支配> 「〜から」
という似たような意味の前置詞がありましたが、これが合体したものがイタリア語の前置詞 da でありますよ。ラテン語の dē という出自を表す前置詞は、
イタリア語では、格変化が失われたため、
属格 「〜の」 の意味を表すために転用されたため、
出自を表す前置詞として de + ab が生まれたもの
と思われます。
ですから、イタリア語の da は、ラテン語では dē とすればよろしい。
ここまではよろしうがすね。
…………………………
次は、村の名前であります。
Vinci [ˈヴィンチ]
このイタリア語の地名は、
vinco [ˈヴィンコ] 「柳の細い枝」
の複数形であります。なぜ、このような地名があるのか、というと、日本のカズラのように、編んでカゴなどを作る材料に用いられたのが理由であるようです。柳の細枝細工が有名な土地だったんでしょう。
ところが、 Vinci というイタリア語の地名が、ラテン語でどう呼んだのかわからないのでありますよ。そもそも、イタリアでラテン語が用いられていた時代に、この村が存在したのかどうか、それさえも不明です。
ところが、 vinco 「柳の細い枝」 という単語は、ラテン語の
vinculum [ˈヴィンクるム] 「ひも、なわ」
にさかのぼることがわかっています。これは、
vincio [ˈヴィンチオー] 「縛る、結ぶ」
という動詞の語根 √vinc- に指小辞 -culum が接尾したものであります。
vinc- 「縛る、結ぶ」
+
-culum 指小辞 (小さいもの)
↓
vinculum [ˈウィンクるム] 「ひも、なわ」
↓
vinclum [ˈウィンクるム] u の脱落
↓
*vinclo [ˈヴィンクろ] 古イタリア語
↓
*vinchio [ˈヴィンキオ] l の [j] 化
↓
vinco [ˈヴィンコ] 「柳の細い枝」 イタリア語形
↓
vinci [ˈヴィンチ] 複数形
つまり、ラテン語時代に 「ヴィンチ村」 が存在したかどうかも不明だし、存在したとしても、ラテン語でどう呼ばれていたかも不明ですが、
ラテン語時代に 「ヴィンチ村」 が存在したら、
何と呼ぶべきか、という推測はできる
わけです。
それは、すなわち、
Vinc(u)la [ˈウィンクら]
なんですね。ところが、ラテン語のこの単語には、「柳の細い枝」 という意味がない。俗ラテン語から、イタリア語を経て、この語義を獲得したからであります。
それゆえ、
Vinci という語が、ラテン語時代に存在したことにしてしまう
という苦肉の策が取られるわけです。
ラテン語の複数主格形で -i となるのは、単数主格形が -us に終わる男性名詞であります。古典語の Vinc(u)lum は中性形ですが、イタリア語では、男性 -us と中性 -um が合流して、男性 -o となりましたのですネ。
つまり、イタリア語形 Vinci をラテン語の単語と見なすと、
単数主格形 Vincus [ˈウィンクス]
複数主格形 Vincī [ˈウィンキー]
になります。語幹は Vinc- でありますから、そこから派生する形容詞形は、
Vincius [ˈウィンキウス] 「ヴィンチ村の」
となりますナ。
…………………………
ここまでの理屈がわかれば、ラテン語版 Wikipedia が、レオナルド・ダ・ヴィンチを、いろいろな語構成で呼んでいた理由が判然といたします。
Leonardus Vincius [れオˈナルドゥス ˈヴィンチウス]
これは、Leonardus 「レオナルドゥス」 という男子名を、 Vincius 「ヴィンチ村の」 という形容詞の男性形で、後ろから修飾してるんですナ。
Leonardus Vinci [れオˈナルドゥス ˈヴィンチ]
これは、現代語のように、「個人名+出身地名」 という語構成で、主格を2つ並べておるだけです。
Leonardus de Vinci [れオˈナルドゥス デー ˈヴィンチ]
これは、イタリア語の地名 Vinci を不変化詞 (格変化しない単語) として、前置詞 de 「〜出身の」 のあとに置いたものでありますネ。
もし、 Vinci をラテン語の複数主格形とみなすならば、
Leonardus de Vincis [れオˈナルドゥス デー ˈヴィンチース]
とすることになります。 de という前置詞のあとに来る名詞は 「奪格形」 という格を取らねばならないからですネ。この語形を Google で検索してみましたが、ヒット数 0 でありました。
…………………………
で、クダンの
Leonardus de Vincio [れオˈナルドゥス デー ˈヴィンチオー]
ですネ。
これは、 de のあとにキチンと 「奪格形」 を持ってきている。そこが面白いんですね。ちょっと、「お!」 という感じです。 Wikipedia で奪格を用いていないのに、(年代は不明とは言え)、昔、彫られた胸像に、
Leonardus de Vincio
と彫られていた、ということは、昔のイタリア人は、こういう語形がふさわしい、と考えていたことの現れであります。そこに深い意味を感じるワケですね。
奪格形が Vincio である、ということは、
主格形は Vincius [ˈヴィンチウス]
であります。これは、先ほど申し上げた 「ヴィンチ村の」 という形容詞と同形です。これはおかしい。
de のあとには名詞が来ているハズ
なのですね。
…………………………
ここで調べてみると、中世ラテン語では、ヴィンチ村を次のようにも呼んでいたらしいんですね。
Castrum Vinci [ˈカストルム ˈヴィンチ] (A)
Vincium Florentinum
[ˈヴィンチウム フろーレンˈティーヌム] (B)
(A) の castrum というのは 「城塞」 のこと。「ヴィンチ城塞」 の義。つまり、ヴィンチ村というのは城塞であったことがわかります。後置されている Vinci は主格形ですから、
Castrum 主格 ※英語 castle の語源
Vinci 主格
で、主格が2つ並記されていることになります。
(B) の Florentinum は Florentinus の中性形で、「フローレンティア (フィレンツェ) の」 の義。先行する地名が Vincium という中性形だから、それを修飾する形容詞も中性形を取っておりますナ。これは、「フローレンティアのヴィンチウム」 という意味です。フィレンツェの近郊にある、ということを言っているんですね。他の地方にも、同じ地名があったのかもしれませんナ。
ここで、 Vincium という語形の地名が出てきております。これはどうしたわけか、というと、おそらく、ここには出てきていない、
*Castrum Vincium [ˈカストルム ˈヴィンチウム]
という語形が元にあった、と推測できます。つまり、
ヴィンチという土地 Vincius の城塞 Castrum
だからですね。「城塞」 が中性名詞なので、それを修飾する形容詞も中性形を取る。
で、この中性形の形容詞が、名詞として用いられると、
Vincium 「ヴィンチウム」
という地名になるんですナ。要するに、「ヴィンチ城塞」 を意味する短縮形なのであります。 Castrum を省略している。
…………………………
で、話を最初に戻しましょうネ。
de Vincio [デー ˈヴィンチオー]
という奪格形の元の語形 (主格形) は、
Vincius 「ヴィンチウス」
だと申し上げましたが、実は、中性形
Vincium [ˈヴィンチウム]
の奪格形も Vincio となるのであります。
すなわち、
Leonardus de Vincio
というのは、
「ヴィンチ城塞の出身のレオナルド」
ということになるんであります。
…………………………
こんな重箱の隅に詰まっているカスのようなものは、現代人にとってはどうでもいいことでありますが、
昔の人は、それなりの考えがあって、そうした
ワケでありまして、その理由を推測するのは、それは、それで、ナカナカのアドベンチャーなのであります。
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