ついでに、「クロマニョン」 なのである。
正しくは、「クロマニョン」 であって、「クロマニヨン」 ではない
のである。5拍であって、6拍ではない。
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これはフランス語ではない。南仏語という。この言語はあきらかに、イル=ド=フランスの言語 (パリ語) とは別言語である。政治的理由から、
「フランス語の方言、というレッテルが貼られてきた」
にすぎない。
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クロマニョンは、
Cro-Magnon
と綴る。フシギである。何かの合成語である。フランス語の発音は、
[ kʁomaɲɔ̃ ] [ クロマ ' ニョん ]
である。
「クロマニョン人」 というのは、
l'homme de Cro-Magnon 「クロマニョンの人」
というフランス語の写しである。
なので、「デニソワ人」 のような不都合はない。発見された場所の名前が、そもそも、「クロマニョン」 なのである。
その場所は、
l'abri de Cro-Magnon 「クロマニョンの岩屋」
と言う。日本では、しばしば、「洞窟」 と言われているが、洞窟ではないようだ。岩壁の下に空間があって、雨つゆをしのげる場所になっているらしい。 abri というのは、英語で言う shelter である。
フランスは、ドルドーニュ県 Dordogne にあるのだが、この県というのが、おおよそ、日本人に知られた観光スポットがない。ボルドーから少し内陸に入ったところである。
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Cro-Magnon の名の由来は、ほとんどの Wikipedia には書いてない。
科学的項目の Wikipedia の特徴として、
名前の由来にいっさい興味を示さない
という態度がひとつある。
確かに、「対象の正確なる科学的記述」 が第一義であって、それで必要十分である。まちがいではない。まちがいではないが、
オモシロミがない
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さすがに、フランス語版の Wikipedia には、名の由来がある。
l'occitan 「オック語」
としてある。
これでナニかがわかったような気になってはいけない。
Cro-Magnon が 「オック語」 だと言うのは、
「べこ」 は 「東北弁」 だ、と言うのに等しい
つまり、「ほぼ、ナニも言っていない」 のと同じである。
ドルドーニュ県というのは、県の中央を東西に “方言の区画線” が走る。
北が 「リムーザン語」 で、
南が 「ラングドック語」
である。Cro-Magnon は、ちょうど、区画線のあたりにあり、どちらの方言なのかわからない。それに、Cro-Magnon というのが、昔から言い習わされている古名だとしたら、どちらの方言でも解釈できないこともある。
もっとも、リムーザン語、ラングドック語とも、体系的な言語資料 (たとえば、辞書) のようなものは容易に手に入らないから、とりあえずは、裏付けのしようもない。
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cro というのは、北仏語、つまり、今の標準フランス語で、
creux [ kʁø ] [ クルゥ ] 「くぼみ、穴」
にあたる。北仏語は、語尾に -x など付いてモノモノしいが、その正体は、
語末の -s を発音しなくなった creus にすぎない
のである。フランス語の書記法として、頻出する語尾 -us を -x と綴るという約束があって、のちに、余計な -u が足されて、本来の -us が -ux になってしまっただけである。こうした語末の -x が [ -ks ] と発音されたことは一度もない。
現代オクシタン語の標準語形は、すなおに cròs である。
このコトバの正体は、ガリア語起源だと考えられている。ガリア語というのは、ガリア (フランス) がローマに征服される以前に、この土地で話されていたケルト語である。今のアイルランド語、スコットランド語、ウェールズ語、ブルトン語などの仲間である。
ガリアが征服されて、ラテン語の教育がすみずみまで行き渡ると、ガリア語は消滅してしまった。まとまった文字資料はほとんど残っていない。
ただ、フランスには、各所にこの語を含む地名が残っているらしい。それゆえ、ガリア語起源だと考えられている。ラテン語化された語形は、
*crossus, crosus [ ク ' ロッスス、ク ' ロスス ]
だと推定されている。
フランス語には、 la grotte [ グ ' ロット ] “洞窟” という単語もあって、両者を混同するムキもあるようだけれども、 grotte は、creux の初出から1世紀のちに、イタリア語から借用されたものである。
grotta [ グ ' ロッタ ] 「洞窟」。イタリア語
である。こちらは、ギリシャ語起源である。
ἡ κρύπτη [ ク ' リュプテー ] 「覆われた場所、穴蔵、貯蔵庫」
これは、「クリプトン」 や 「クリプトロジー」 (暗号学) の起源でもあり、“隠す” という動詞から派生している。
「クリュプテー」 と 「グロッタ」 は似てないだろう
と言われるかもしれないが、イタリアに植民したギリシャ人は、古い発音のギリシャ語を使っていたらしい。
一般に、古典ギリシャ語と呼ばれるのは、ソクラテス−プラトン−アリストテレスの哲学などで有名なアテーナイの “アッティカ方言” と呼ばれるものである。しかし、この方言は、
[ u ] → [ y ] [ ウ ] → [ ユ ]
語末の [ a: ] → [ e: ]
という変化を起こした方言だった。つまり、 kryptē 「クリュプテー」 のもとの語形は、
krúptā [ ' krupta: ] [ ク ' ルプター ]
だったのである。語頭の k が有声化し、 -pt- → -tt- となると、
grotta
のできあがりである。古典ラテン語にはない。 短音の [ u ] → [ o ] という変化は、ロマンス語 (フランス語、イタリア語など) の一般的変化である。
…………………………
magnon 「マニョン」 というのは形容詞だ。現代では、北仏語にも、南仏語にもない
Charlemagne 「シャルルマーニュ」
という人名があるが、フランスで残ったのは、かような化石化した片鱗のみである。
ラテン語では、
magnus [ ' マグヌス ] 「大きな、優れた、卓越した」
であった。 Magna Carta 「マグナ・カルタ」 の Magna はこの女性形。Charlemagne はフランス語形で、本来のラテン語形は、
Carolus Magnus [ ' カロるス ' マグヌス ] 「偉大なカルル」
である。いわゆる、「カール大帝」 である。
フランスで magnus が残らなかったのは、「大きい」 の意に、同義語の
grandis [ グ ' ランディス ] 「大きい」。ラテン語
が好まれたからだった。 magnus という形容詞に 「偉大な」 というニオイが付きすぎたからか、あるいは、「マーニュ」 という鼻音ばかりの発音に物理的な音としての強さがなかったからか、 grandis というゴロゴロした感じの田舎くさい単語に追いやられたのである。
というか、 magnus というラテン語彙じたい、ローマ帝国内の庶民には人気がなかったらしい、ロマンス語圏で共通して残っていない。
…………………………
つまり、
Cro-Magnon という地名は、そうとうに古い物である
ということになる。フランスの中世ラテン語では、
Crossus Magnus [ クロッスス・マグヌス ]
であったろう。
これの対格は、
Crossum Magnum
であり、男性語幹の -um が落ちれば、
Cros Magne [ クロスマニュ ]
である。いったんは、
Cro-Magne [ クロマーニュ ]
のごとくになったかもしれない。そこに、なぜか、「指大辞」 の -on が加えられた、と考えられる。
Cro-Magnon [ クロマニョン ]
つまり、指大辞 -on が語末に加えられたころには、 Cro-Magne が 「名詞+形容詞」 である、という認識がなかったことになる。そういう認識があったら、修飾語の形容詞に指大辞を付けるはずがないし、また、形容詞に指大辞は付かない。
フランス語の -on という接尾辞は、古フランス語期には、指小辞であった。
raton 子ネズミ
chaton 子猫
中期に入ると、指小辞としての働きを失い、あらたにイタリア語 -one から入ってきた 「指大辞 -on」 に取って代わられる。
saucisse ソーセージ → saucisson 大きいソーセージ
つまり、中期フランス語時代に、ラテン語くずれの南仏語の地名に、土地の人が 「大きい」 という意識で接尾辞 -on を付けてできた、という複雑な地名が Cro-Magnon なのであろう。
ただ、これが、「大穴」 を意味することは、土地の人には、ナントナクわかるハズである。しかし、すでに 「名詞+形容詞」 のテイサイは失っているので、さらに、 abri 「岩屋」 を付けて、
l'abri de Cro-Magnon
とするわけだ。
「クロマニョン」 という名の岩屋で見つかった人類だから、これを
クロマニョン人
と称するのは、いっこうにモンダイはない。
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