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2019年11月12日10:36

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「天皇陛下万歳」48回、令和天皇奉祝行事の驚愕と恐怖

令和天皇の即位を祝う9日の「国民祭典」の祝賀式典で、「天皇陛下万歳」の唱和が48回繰り返されました。

万歳三唱のシーンはこちら 3枚の写真の下のYoutube終わりの方の2:10:19ごろ〜です。
https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/banzai

ヒットラーが国民をファシズム体制に動員する主要な手法として多用した国民の側からの「喝采」を想起させました。これだけの異常な盛り上がりは戦後初登場ともいうべき記念碑的な事象かもしれません。

身体ごと、魂ごと国家にからめとる「情動」が「喝采」の本質だと思います。

元より、計算しつくされた印象を受けます。

日本会議が安倍政権と連携して推進している「戦後政治の総決算=戦前体制の復活」の現れでしょう。

天皇の権限は憲法明文で列挙している国事行為に限定されています。
被災地や戦跡の訪問は憲法で明記されていない「公的行為」です。象徴天皇制について国民の支持を拡大する目的で展開されている違憲な行為であるという憲法学説を支持します。

でも、今回の行事の最大の驚きというか恐怖は、万歳以前に一連の奉祝と司会の発言を含む緻密に計算された演出でした。
その締めくくりが48回の「天皇陛下万歳」でした。

すなわち、天皇の公的行為という憲法違反の行為を積み重ねてきた先日までと質的に異なり、国民の側からの公的行為というべき天皇と合体した違憲の公的行為という新たな歴史が始まったように思います。15歳の少女や嵐などを使用したのは若い層への浸透目的でしょう。

これらについて、見た範囲ではメディアは論じていません。メディアの劣化を端的に表しています。直近のAERAや今朝の朝日は疑問を呈しており評価できますが、大変不十分だと思います。

裸身の男性の一心不乱のふれ太鼓も生身の肉体を天皇を頂点とする国家に奉げる戦前を連想させ恐怖を感じました。

お祝いする柔らかなムードで包みつつも天皇を崇める司会の言葉の数々やポイントを強く打ち出しているのを見ると、全体として冷静に計算し尽くされた演出を感じました。

ふれ太鼓については私が過敏かもしれません。皆さまはどう受け止められたのでしょうか?是非とも伺いたいです。

なお、国民の側の行為は憲法上は公的行為ではなく私的で自由な行為ですので、違憲性は問題になりません。問題はそのように国民を動員した主催者・指揮者と喝采するテレビ、沈黙するメディアです。

平成天皇の即位の大嘗祭の際は天皇家の私的な宗教行事を国事行為の中に巧妙に混交したことに対してメディアや国民は議論し批判をしました。今回はそれもなく、当たり前のように粛々と進められました。
この度の48回の天皇陛下万歳は、国民から違和感や怖さの表明もされています。これが正常な感性です。

しかし、次の奉祝行事になった際は「当たり前」のように喝采されている可能性が相当あると考えます。日本会議・自民党政権等がメディアや学者を抱え込んで意図的に強力に誘導しています。
国民・市民は自立して踏みとどまりたいと思います。
民主主義の衰退と戦争可能な道への歩みと表裏をなしているのですから。


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