こちら東海地方は桜から躑躅や春の花々そして草木にと季節は変わった。晴れてると外に出る。バイク、車だ。もう寒さが去り初夏の気配さえしてる。季節の巡る早さよ。人生もな、と嘯いてしまう。近場は、トコトコとカブだ。50CC排気量だが重量配達用にと作
「無事これ名馬」競馬評論家大川慶次郎が昭和四十年初頭に言った。有り体に述べると大川は馬券予想屋だがすごかったのは一日のレースを全て的中させた。彼の名声は世間に知れた次第である。元気で勝負するのがサラブレッドの宿命だ。それを当たり前なこと述
午前7時ジャスト家を出た。生産から二十年を経たホンダバモスだ。ワンボックスカー。オートマ4速軽自動車である。名古屋市の上前津まで面談だ。シートベルトをカチッと音がするまで差し込む。張りの具合まで確かめる。よし間違いなし。 1968年スチーブ
「七重八重花は 咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」。 この短歌は引用された。それも声に出してでなく以心伝心という奥ゆかしい手段で。無名な一娘さんに依り元歌を作った人よりも有名。日本の歴史に残る。 意は、「春になり百花繚乱だ。でも
何でも理詰めで判断することはなくなってきた。大まかな道理を基にして行動や物をやっている。出来得るならば自分で納得して行えたらニコニコして最高だ。命令口調にはすっかり弱くなった。何年に一度ぐらいか、事務所に初めて訪問してきた人が「何月何日ま
禅宗「無門関」という経本がある。初めの方に野狐禅が載ってる。こんな話だ。百丈和尚が講義をするといつも隅に老人が聴講している。和尚は只者ではないと見破り、ある時講義が終わって声を掛けた。老人は「お察しの通り自分は人間ではない。狐だ。もともと
昨日の午後はパソコン全般でお世話になっている後輩と楽しい春のひと時を過ごした。大都市名古屋駅前で正午落ち合った。先ずは琥珀ビル2階のイタリア料理店ゼロで昼飯だ。サラリーマンがランチで日々利用するレストラン。アサリのボンゴレを頼む。パンは食
人生の最後半に入ってきた。街を歩けばウィンドゥに映る姿は何処かで見覚えがある。お爺さんだなわなぁと思う。何のことない自分の姿だ。こんなことに出くわしても受け止めれるようになってきた。若さ、健康、美の三拍子を得られる人は稀有だ。本当に芸能界
早朝四時にはルルルーと新聞配達のカブエンジン音が聞こえてくる。家の前に停まり足早にポストへ投函だ。毎日の始まりだ。人は決まったルーティンがあれば安心するものらしい。月曜日朝は玄関に行きたくなる。思わず配達員さん大丈夫かとお門違いな心配まで
「時間は金持ち貧乏人に関係なく平等に与えられている」は本当か? 人生八十年といわれて随分と経つ。これは年代が新しくなる程伸長されている。戦前は「人生五十年」だった。確かに人の平均寿命はアップ統計だ。 三十年以上も前になるが「ゾウの時間ネズミ
お題は雲を掴むような話で漠然としてることこのうえなし。老人の独り言にお付き合いくださいませな。中坊の頃に読んだ歴史エピソードを忘れることができない。こんな一コマが命さえ奪ってしまった史実があった。1789年フランス革命が起きた。自由博愛平
春たけなわだ。一気に桜が咲いた。今日土曜日明日の日曜日がお花見ピークだろう。こちら岐阜名古屋の東海地方平野部ではいえる。 かくいう自分も春の陽気に誘われて長良川下流の墨俣に出かけた。この地名だけでは分からないかもしれない。秀吉の一夜城だ。
昔から「衣食住」の大切さを教わった。人の歴史だろう。生きてくうえで最低限確保しなければならない。社会人になってからは力一杯働いて収入を得て家族、自分のためにお金を使う。もっと贅沢な暮らしをしたい、もう少し余裕があればと願うのも自然だ。 そ
この写真は荒川図書館内に貼られている。ゆいの森。「絵本は人生に三度」と。携帯、パソコンの時代に急速になった。紙媒体の本は商業ベースでは落ち込むばかり。こちら岐阜の有名書店だった自由書房も無くなって十年以上経過した。まわり見ても携帯いじくり
ここに来て「確認」作業を大切にしている。「あたりまえじゃないか。」と誰しもが思うだろう。生きてくうえ仕事趣味であらゆる分野で必要だ。こんなことに頭がいくのは老化が進んでいる証だとは言い切れないのがある。 自他ともに最近こんな小トラブルに見
裁判提出用の大切な陳述書を提出だ。家にはプリンターなし。夕方、独居老人はコピーをスーパーコンビニの高性能機械で取ってから顔見知りの食堂兼飲み屋で夕飯ぞなもし。 焼そばとホット烏龍茶。これでお腹いっぱい。昼は三田洞自動車学校で高齢者講習を受
4月1日は入社式が行われ多くの若者が社会人になり就職する。新調したスーツが初々しい写真が新聞からマスコミに報道された。 思いは様々だろうて。どうしても自分の青春時代を思い起こす。長かった学生時代からバイトで稼いだことあるものの本格的に定職持
岐阜県各務原市に伊木山ガーデンという園芸店がある。全国ネットのホームセンターとは違いこの地区だけで営業している。遠くから種子、苗、花、植物を求めて土日ともなれば駐車場が一杯だ。皆がニコニコと優しい顔になり花などを求めている。買い物の前に店
終末ケァを長年に渡りした医者はいう。その立ち会った人数はゆうに二千人を超える。新聞の書籍広告欄から見ただけなのだが。結論は「生きてきた通りに最後を迎えている。」と。単純化した答えだなぁ。想像を掻き立てる。優しくした人には満ち足りた臨終、激
後期高齢者になる。まわりでも八十歳までの知人ばかり。事務所。カラオケ喫茶店、知人、近所と。杖突きあるくのが普通になっている。 かく言う自分も駅の階段では必ず手摺りを頼る。こけたら骨折は免れない。寝たきりになりあの世行きだ。中学からのクラス
少年時代を懐かしむ。老人となり美しい夕暮れに人生の黄昏を重ね合せ見てしまう。記憶は螺旋階段とも言われる。階段でなく直線のポールを伝わり過去まで一気に下れるのだ。 「ちいさこべ」山本周五郎の作品だ。江戸時代、大火で孤児となった子供達が寄り添
これはギリシャ、ローマの格言「古狐は欺されない。」を私がもじったものだ。 世の中は振り込み詐欺を始め最近では頂き女子まで出現してる。これって昔から手を変え品を変えて存在だ。勿論騙す犯人が悪い。人の善意を利用して。老人の虎の子を取るなんて許
美味しいパン屋さんだ。片道40分飛ばしてもその甲斐はある。 久しぶりありついた。コロナ前はしょっ中だった。提供パンの数が少なくなった。ここにも値上がりの影響か。 ここまで来たらお花ガーデン店で買い物をしよう。いい🪴が置いてあ
自分の青春壮年初老人生長きをサラリーマンだった。そのほとんどを債権回収業務にあたった。事件は詳細にメモしてこれは職場に残した。手元には日誌が大学ノートだ。私物で家に保管してる。ページを開くと当時の記憶が鮮やかに蘇る。文字通り必死で全てを賭
野球賭博で窮地に嵌っている。法律的な展開は、事実関係、本人の振り込み関与、処分となる。本件で重要なのは大谷翔平の関与意思に絞られる。親友の水原が博打で大借金穴を開けた。首が回らず困った友を助ける善意から多額送金を認めたでは大谷も違法賭博補
田中真美子さんとの結婚で日本、米国、世界の人が喜んだ。まるで自分のことのように。現在のスーパーヒーローだ。野球でのより一層な活躍を誰しも祈りながら。 韓国での米国野球オープンには目を白黒させながら^_^。一日目が終わり飛び込んだのは水原通訳
サイゼリアで席案内から座る。店員さんからスマホ注文を頼まれた。「出来そうにない」というと「決まったら呼んで。」の受け答えがあった。メニューの一番上にスマホ注文仕方図面置いてある。なになにやってみようか。先ずは食べたい番号を紙ナプキンにメモ
田中真美子さん今は大谷翔平夫人のことだ。日本どころか米国世界中にすごい勢いで広がっていく。自分の体験ではミッチーブーム以来のこと。美智子妃殿下婚約の昭和33年街の風呂屋でニュース貼り紙見た。綺麗で賢い佇まい。ご結婚、そして皇太子妃として大
お尻にメスが入った。普段からお世話の病院に恥ずかしが診てもらった。名古屋に往復どころでなく尻の痛みが酷い。老先生はウモすもなくその場で切開だ。恥ずかしさは我慢できた。ところが痛みはすごく声出してしまう。膿んでとても敏感な患部に麻酔注射ぶすり