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2019年06月25日06:18

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アメリカとイランの共通言語 ―ルーミーの詩

宮田 律さんがアルバム「アメリカとイランの共通言語 ―ルーミーの詩」に写真18件を追加しました。
7時間前
 ペルシア湾岸地域でアメリカとイランの対立が深まっているが、アメリカで最もセールスがよい詩人はイランの言語であるペルシア語で作品を残したルーミーというBBCの記事がある。(2014年10月21日付)
http://www.bbc.com/culture/story/20140414-americas-best-selling-poet?fbclid=IwAR34CuFYtwKE0s-abT1pyFfkwzkU-uP-o0Sd4oRDS5Sptt81k3nCnXcNvi4
 米国の俳優ブラット・ピットの右腕にはイランの詩人ルーミー(1207〜73年)の詩の一節がタトゥーとして彫られている。それはコールマン・バークスの英訳で「There exists a field, beyond all notions of right and wrong. I will meet you there.(正しさと誤りの概念を超えたところに野原がある。そこで君と会うだろう。)」というものだ。つまり、人間は互いの相違を乗り越えて寛容にならなければならないということだろう。
 少々長い邦訳は次の通りだ。

善いとか悪いとか
そんな観念を超えた場所がある
そこであなたと出会う
その芝生に魂が横たわるとき
世界は言葉では語り尽くせない
観念も言葉もどんな名言も
何の意味もなさない
この瞬間
この愛が
私のもとへ安らぎに来る
ひとつの
存在のなかに
多くの存在が訪れる
ひと粒の麦のなかに
千束の干草
針の目の内側に星々が輝く夜
https://ameblo.jp/tomiwaka/entry-12388385091.html

 ルーミーは、現在のアフガニスタンのバルフで生まれた。ペルシア名はジャラール・アッディーン・ムハンマド・バルヒー。最後の「バルヒー」は生まれ故郷のバルフにちなむ。ペルシア文学史上最大の神秘主義詩人と言われている。モンゴル勢力による戦火を避けるため、家族は何年にも渡る放浪生活の末、最終的にアナトリアのコンヤ(現在のトルコ)に住み着いた。
 1995年は「国連寛容年」とされ、「寛容とルーミー(Tolerance and Rumi)」と題するルーミーの生涯に関するドキュメンタリーフィルムが制作されるなど、ボスニア紛争やルワンダ内戦を背景に人種や宗教を超えた寛容がアピールされた。
 アメリカのボルトン補佐官は23日、訪問したエルサレムで「われわれは軍隊を新たに編成した。出撃準備は整っている」と語り、18日、イラン革命防衛隊のサラーミー司令官はイランの弾道ミサイルは高性能で、海上の輸送船を攻撃できると語る。現在の緊張はアメリカ、イラン双方の強硬派の立場を強化しているかのようだが、少なくともアメリカ国民は、イランとの共通言語であるルーミーの詩のように、寛容な精神で、衝突回避を支持してほしい。
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