mixiユーザー(id:787023)

2020年01月21日06:36

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ときどき書く「スカーレット」感想文www

ハマり過ぎてキャラクターが好きになってるので、もうあまり客観的に見ることはできないんだが、
おもしろいよ。とても。
ただおはなし的にはすっかり停滞していて、ストーリーを追うひとにとっては「なんなんこれ?」って感じだろうと思う。
そのうえ八郎さんはスランプ、喜美子は抑圧されたモヤモヤが溜まり、主要な登場人物が鬱々を徐々に臨界へと高めていってるしんどい流れなので、乗れないひとはさぞ見てるのが辛かろうと思う。
ここらへんがガチな人間ドラマの難しいところ。
「スカーレット」はそもそも“アートに身を捧げる”あるいは“アーティストになる”とはどういうことか?ってのがテーマ。
なのでいわゆる国民的ドラマでやるような普遍性は無い。
これ単館公開するようなインディペンデント映画でやるネタだろ?
しかもそんな話だというのに喜美子はいまだに「陶芸家になる!」なんて意識を持ってもいない。
超じっくりペース。放送はもう第15週ぞwww
いや、わからんよ。
こんなドラマ、普通はわからん。
制作陣はソコをキャラクターの内面を丁寧に掘り下げて興味深く描こうとしてる。
そこがまたわからん。
だってこれまた単館公開するようなインディペンデント映画みたいな本格派の演出だもん。
キャラクターの心理を台詞やストーリーで説明せずに、状況と行動だけで仄めかしていく。
それを支えるだけのリアリズムを徹底してるからわかるひとにはわかるんだけど、「朝ドラ」って大半のひとはそんな必死に見ないからな。

いまの状況は八郎と喜美子の互いを思いやる気持ちがズレていて、ふたりの心の距離が徐々に離れていってる。そういう展開。
何故なのか?というと陶芸、つまりアートに対するふたりのポジションが違うからなんだよね。

八郎さんは地道な研究を積み重ねて焼き物に思い描く風合いを実現させようとしてきたひとで、つまり技術系のひと。
努力が実って賞を獲り、期待の陶芸家として持てはやされたが技術的に頭打ちになってスランプに陥った。
「素晴らしい作品?素晴らしい作品ってなんやろうな?」
彼にはアーティストとして決定的に欠けているモノがあって、それはセンスなんだ。

いっぽう喜美子には“素晴らしい作品”を思い描くセンスがあり、それを実現する技量のセンスもある。
ただ彼女は「自分はアーティストとして生きよう」という意識がまだ無い。
彼女は陶芸が好きで興味もあるがそれはあくまで仕事として収め、自分は八郎さんがかつての情熱を再燃させることができるまで彼を支えようと考えている。
でもそもそも喜美子が八郎に惹かれたのは、彼のなかにアーティストとして生きるひとの輝きを見たからではなかったか?
八郎に惹かれたのではなく、彼の生き様に自分の理想を見たからではなかったか?

さらに悪いことに八郎はそんな喜美子のセンスを見抜いていて、彼女が本当は自身の作品作りをやりたいのだということも気付いている。
それができるだけのセンスを、自分にはどうやら無いのかもしれないセンスを持ち合わせていることも気付いている。
その状況がまた苦しい。

ふたりは互いを思いやり、互いのために力になろうとしている。
愛であり善意なのだが、決定的にズレている。
それはアートのセンスを持つものと持たざるものが、間違った立場に入れ違っているせいなんである。
ふたりはまだその事をハッキリ意識していない。
でもそれを、若くて野心に満ちた弟子の三津が無邪気な言葉で暴いていく。
真綿で締めるように徐々に徐々にふたりを追い詰めていく。
なんて残酷なはなしか!

でもどうにもならん。
そうなんだよ。
「スカーレット」ははじめからずっと「どうにもならんこと」を描いている。
ここまで語られて来たエピソードは、主に喜美子の明るい性格のせいで「わはは!」と笑い飛ばして描かれている。
けれどそれは「わはは!しゃあない!」「どうにもならん!!」であって、基本、苦いエピソードだらけだ。
「スカーレット」はそうしたこの世の「どうにもならん」を徹底したリアリズムで暴き出していきながら、それでも情熱にむかって「炎は再び舞い上がる」様を描き出そうというドラマである。
そこをわかって見るかどうかで印象は大きく変わるハズと思う。

うん、朝ドラ史上で最大級にしんどいドラマかも知れんよコレは。
(どう見ても“モノづくり”を超観念的に描いた「なつぞら」へのカウンターだと思うわwww)
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