mixiユーザー(id:787023)

2019年09月16日23:41

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穿った視点から

もっともらしく聞こえますが論点をずらしています。

イノベーションを起こせる人間のほうが大きく成功できる可能性は広がります。
しかしイノベーションを起こせる人間がどんどん増えたらそのなかで競争が起きるだけです。

おそらく社会全体でみれば競争が活発になるのは良い事です。
しかしそのひと個人にとってはどうでしょうか?
チャレンジにはリスクがついてまわります。
競争に負けたひとは、その挑戦のぶん大きな損失を負うのかもしれません。
そのあとどうなるかはわかりません。

挑戦しないほうがいいということではありません。
ただ、イノベーションを起こせる人間、勝ち残れる人間は実際にはごくわずかであるのもまた現実です。
多くのひとは凡庸です。
だから、凡庸な人間でも凡庸な努力で凡庸な幸福が手に入る社会のほうが安定的です。
だから高学歴であることが推奨されました。
それは幸福な時代でした。

「高学歴なのに貧乏な人が増えているワケ」が何かと言えば、それは社会が低成長になり経済的に衰弱したため、凡庸な努力で凡庸な幸福が手に入らなくなった。
言ってみれば、凡庸な多くの人の幸福のための原資が尽きたということです。
それだけです。

「1億稼ぐ子どもの育て方」という本を書く方はどういう詭弁を使うのか?という視点から見たときの読み解きはそういうことになるかと思います。

高学歴を目指すこと以外の凡庸な努力とは何なのか?
原資が尽きた社会における凡庸な幸福とは何なのか?
を考えるべきかもしれません。


高学歴なのに貧乏な人が増えているワケ
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=5790664
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