とある学校関係で聞いた話。
低学年(以下)の子が将来の夢を聞かれて、「戦隊ヒーロー」とかそういう系統の、いわゆる夢のある答えをしたそうな。
それを聞いて担任の先生は、
「それでお金が稼げると思う?」
との反応。
それを聞いた大人たちは苦笑していた。
俺自身もそれを聞いて大人げない、相手は10歳にもならない子じゃないか、という気はした。
職場のTくんは、
「でもぼくが聞いたことのある話で、戦隊ヒーローにあこがれていて、大人になってからそういう番組の戦闘員役になったって人がいるってありましたよ」
いや、そういう話でもないような気がする(苦笑)。
「それでお金が稼げると思っている?」という反応は、幼い子にお金でものごとを計る価値観(だけ)で語るな、というあたりでげんなりさせるだろう。
でも同じ答えを高校生がしていたとしたら、たぶんそんなにずれた答えとはとらえられないのではないか。
そうやって考えていくと、その担任の先生の言葉はいろんなことを考えさせてくれる。決して彼女の答えが正しいとも思えないんだけどさ。でも、ひとつの反応ではあるのだろう、ってね。実際俺の文章を読んで、俺とかそのまわりの反応に「はぁ?』っていう人もいそうだ。
お金を稼げるかどうか、だけで将来の夢を考えていると、意外と現実的には行き詰まるんじゃないかな、という気がする。極端に年収の高い業種で、実は勤続年数も少ない、なんて話も聞くからさ。
でも、じゃあ収入のない仕事を続けられるかって言ったら、それは職業、生計をたてるという意味での仕事ではない。
考えはいろいろ広がって行って、持っていきようによっては教育的になるとすら思う。
なんかまどろっこしくなっているかもしれないけど(苦笑)。
本を読むとか、教養をつけるってどんな意味があるの?ってしばしば疑問が起こる。
こういう日常の疑問に考える力を与えてくれることこそ、本を読んだり、教養をつけることの意味なんじゃないか。
なんか、そんなことを考えたね。
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