mixiユーザー(id:7850057)

2019年12月08日22:58

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パパみたいな

 くわしく書くと障りがあるかもしれないので、適当にぼかしつつ書くけど、妻が仕事関係の研究発表に行き、相当にいじめられてきたそうな。

「やめさせたいんやろな」

 ため息まじりに、どっと疲れた顔で言う。

 今の環境は上司のイエスマンばかりとかで、妻のように前の上司のときからいる古株は、ほとんどみんな独立するとか、よそに行ったのだそうな。

 妻自身、もともと結婚で非常勤になり、いずれは離れるつもりでいた環境ではあるんだろうけどね。他人、いや妻の事ながら、気の毒ではある。

 俺自身、父がカイチョウを引いて以降、相当にいぢめられた経験はある。けっこう大きな話になってしまってはいたが、今はまだ書くときではないだろうなぁ。

 アイツラに対する復讐がてら、いずれ回想録を書いてやろうとは思っているけれど、一方でそおいうヤカラに対抗するため、俺たぶんグループガイシャの中で会計、財務、経営に関して誰にも負けない知識と勉強量はあると思う。

 だからって、自分をいぢめた連中を肯定的にとらえることはできないし、だから、妻に対しても慰める言葉が見つからなかった。

「前の上司と大違いやからな」

 晩ごはんの準備をしがてら、ぼやきつつ妻が言う。

「前の上司ってね、なんかパパみたいだったのよ」

「……」

 前の上司の評判のよさは聞いている。妻が俺と結婚するずいぶん前に、60を前にして病気で他界されていたという。その人の人柄に惹かれて妻は東北の医大から移ったくらいだそうで、独身時代、訪れた妻の机にも、そして今は妻の部屋の机の上にも、その人の写真は飾られている。それくらい慕っていたのだろう。

 一方で、妻が今、「パパ」というのは俺のことである。

 俺はなかなか妻のことを「ママ」とは呼べないが、子どもが生まれてすぐに妻の俺への呼称は「パパ」にかわっていた。このあたりの女性の変わり身の早さは感心するくらいだ。

 ただし、俺に対する低い評価と、亡くなった上司に対する崇拝にも似た妻の想いは、まったくつながらない。

 パパみたい、と言われて「え?俺?」と一瞬戸惑う他なかった。

 その戸惑いに気づいてか、
「家族のように、メンバーをあたたかい包容力でつづんでくれてたのよね」

 あぁ、なるほど。パパ=俺ではなく、ここでいうパパとは父親的な存在感という意味だったのね。

 納得。

 このあたりの評価の違いというのは、理屈じゃなく、感覚としてダイレクトに伝わってくるものだよなぁ。

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