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2019年10月20日15:31

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クァルテット・ベルリン−トウキョウ Vol.3 & Vol.4

【プログラム】

Vol.3
ベートーヴェン
 1 弦楽四重奏曲 第2番 ト長調 Op.18-2
 2 弦楽四重奏曲 第1番 ヘ長調 Op.18-1
 3 弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 Op.131
(アンコール)
 シューベルト: 弦楽四重奏曲第12番ハ短調「四重奏断章」
 グラズノフ:「5つのノヴェレテ」より

 2019年10月12日(土),16:00開演,ふきのとうホール

Vol.4
 1 ヴォルフ: イタリア風セレナーデ ト長調
 2 グリーグ: 弦楽四重奏曲 第1番 ト短調 Op.27
 3 モーツァルト: クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581
(アンコール)
 チャイコフスキー:”四季”より第10曲「秋の歌」(武満徹編)
 モーツァルト :”クラリネット五重奏曲”より「第4楽章”第6変奏アレグロ」

 2019年10月13日(日),16:00開演,ふきのとうホール

金子 平(Cl,読売日本交響楽団首席クラリネット奏者)
守屋 剛志(Vn)
ディミトリ・パヴロフ(Vn)
グレゴール・フラーバー(Vl)
松本 瑠衣子(Vc)


今回,2日間,クァルテット・ベルリン-トウキョウの演奏会を聴いて,この弦楽四重奏団はあまり馴染みのない曲を紹介する際は強みを発揮するが,よく知られた曲の場合はやり過ぎだと感じさせる傾向があることに改めて気付いた。前者の代表的な例がヴォルフの「イタリア風セレナーデ」だとすると,後者はベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第14番」だろう。このカルテットは曲の特徴を捉えるのが巧みで,それをやや誇張して表現するのがとても上手だ。なので,知らない曲を聴衆に手っ取り早く紹介するのは巧みだ。一方,微妙なニュアンスの表現が求められる曲目の場合,誇張気味の表現が過剰感が不満を募らせることにつながる。たとえて言うなら,チューブから絞り出した油絵具をそのまま使うスタイルの絵画は得意だが,水墨画は苦手な画家ということになるだろうか。水墨画も手掛ける油絵画家は,現実にはほとんどいないだろうけれど。このカルテットが若いということも,こうした傾向に大いに関係があるはずだ。

第1日目のベートーヴェン作品18の2曲は,30歳を前にした若々しいベートーヴェンの弦楽四重奏を元気に潑剌と表現する。若干テンポは遅めであるが,歯切れの良いキビキビとしたボーイングが特徴の演奏である。ただし,いくら若書きの作品とはいえ,表現がやや濃厚すぎるという批判はあるかも知れない。

この批判は「弦楽四重奏曲第14番」により当てはまる。ベートーヴェン後期の作品をこれほど隅々まで明るみに曝け出すような演奏スタイルを採る必要はないと感じた。まるで中期のラズモフスキー・セットを演奏するようなアプローチを後期の弦楽四重奏曲で採用することはないだろう。幽玄な雰囲気が漂う作品の豊かなニュアンスを4本の弦でいかに表現するかが勝負どころだ。たしかに,後期弦楽四重奏曲の中ではラズモフスキー・セットのような要素は強いかも知れない。だが,基本的に弓で弦を押す圧力が強すぎる。だから,微妙なニュアンスを表現するのが難しくなり,音も汚れたようにきこえてしまう。たとえ,若々しさを前面に押し出した後期の弦楽四重奏曲を造形したのだとしても,別のアプローチがあるはずだ。

第2日目で最も面白かったのは,ヴォルフの「イタリア風セレナーデ」。ワーグナー音楽の影響下でドイツ・リートの頂点を極める作品を数多く書いた作曲家が,未完に終わらせた弦楽四重奏曲の第1楽章である。ドイツ人の作曲家でありながら,光が燦々と降り注ぐイタリアの光景を彷彿とさせる,なかなか洒落た作品である。クァルテット・ベルリン-トウキョウは透明感のあるサウンドでこの作品を克明に描く。ドイツの人々が持っている光の国,イタリアへの永遠の憧れを表現しているようでもある。

グリーグの弦楽四重奏曲第1番は,この作曲家特有の哀愁を湛えた作品。この楽曲もヴォルフに負けず劣らず面白い弦楽四重奏曲だ。北欧ノルウェーの憂鬱とドイツの影響を強く受けた音楽語法が渾然一体となった音楽で,なおかつ有名なピアノ協奏曲のような親しみやすさも兼ね備える。グリーグの弦楽四重奏曲では,比較的親しみ易いメロディーを中心に楽曲を造形してゆく秀演といっていいだろう。入門には打ってつけの演奏といえる。

2日に渡る演奏会を締め括ったのは,モーツァルトのクラリネット五重奏曲。骨格のしっかりとした,安定感のある演奏だった。しかし,クラリネットも弦楽四重奏も柔らかさのある深みが不足していた。まだ若い金子平のクラリネットの響は,やや硬めである。まだ熟する前に収穫して出荷直前の果物を思わせる。さらに,クラリネット特有の響の深みも不足気味で,表面的な演奏といった感を免れない。ただし,演奏技術に関しては達者で,ある意味非の打ち所がない。弦楽四重奏についても熟し方が足りず,晩秋の寂しさをうかがわせる表現が物足りない。若い演奏家にこうした要素まで求めるのは酷なのかも知れないが,聴衆の眼前で演奏するからには,アンサンブルとして一つの答えを用意しておくのがプロフェッショナルだろう。もちろん,こうした表現がありうることを全面的に否定し去るつもりはない。

良い意味でも,別に意味でも,若い演奏家が結成したアンサンブルの長所と課題が露わになったような演奏会だった。この演奏団体が今後伸びるか否かは,この課題にどう対処して,いかに克服するかにかかっているように感じた。過去には売り切れになることもあったクァルテット・ベルリン-トウキョウの演奏会にしては,客の入りがもうひとつ芳しくない。200席をわずかに超える演奏会場の半分位しか席は埋まっていない。プログラムの問題も小さくはないにしても,聴衆が課題の解決を急かしている可能性もある。
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