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2020年09月26日16:41

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信仰するときには、御太師様。文献を読むときは空海。

お祭りでは、弘法はん。やはり天才を示された偉人。

■真言宗開祖の「空海」 その俗名はキラキラネームだった!?
(AERA dot. - 09月26日 07:05)
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真言宗開祖の「空海」 その俗名はキラキラネームだった!? 11
2020年09月26日 07:05 AERA dot.

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写真高野山真言宗の総本山・金剛峰寺
高野山真言宗の総本山・金剛峰寺
 高野山に行かれたことのある方はご存じかと思うが、まったく人家のない山道をかなり上って行った先に、突然よく整備された大きな集落が現れ、この町全体がお寺の活動によって動いていることを知り驚かされる。もちろん、お寺といっても1寺を指しているわけではない。1000メートル級の山々に囲まれたこの土地全体が、弘法大師(空海)が開いた真言仏教の総本山・金剛峰寺の境内となり、ここには現在も子院117ヶ寺が存在しているのである。

【写真】成田山川越別院にある「独鈷」

●天空に並ぶ伽藍堂群と歴史ある墓碑

 このようなまさに孤立したように見える場所にありながら、アクセスはかなりよい。大阪の中心地から電車1本で高野山ケーブルの駅まで行ける。中心伽藍までのバス乗車時間を含めても難波駅から2時間程度、関空からでも2時間30分くらいしかかからない。道路の整備も行き届いているので、車での移動も簡単で、広い高野山の町中の各地域に駐車場も確保され、山内に入ってしまえば、歩きに苦労する場所も少ない。山内には宿泊できるお寺(宿坊)も52ヶ寺あり、1日だけでは到底見学しきれない参拝者を迎えてくれる。高い山の中にある寺社を参拝するイメージを感じさせないお寺として、これほどまでに整備されてきたのは、「弘法大師の足元に眠れば極楽住生できる」という信仰のもと、全国各地の武将をはじめ一般人など20万基を超す墓碑や供養塔が建てられるほどの人気が背景にある。

 とはいっても、2004年に世界遺産として登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成する高野山だけに、ここまでの参詣道と併せて評価されてのことであるのだから、ラクチンなルートばかりを紹介するのは一面的すぎるきらいはあるのだが。

●命からがらの遣唐使の随員として

 真言宗の開祖・空海は、日本での修行では知識が得られないと、遣唐使の一員として入唐した。この時、一行の船は4隻、空海の乗った第1船、天台宗の開祖・最澄が乗船した第2船のみが難破から逃れ、かろうじて海を渡ったと伝わっている。7歳ほど年上の最澄はすでに著名人、空海は無名の僧だった。

 20年で修学する予定の留学を2年で終え、空海は帰国。帰国前の唐の浜で、帰国後に自分が伽藍を建立する場所を知らせてほしいと念じて空に独鈷(とっこ。仏具のひとつ)を放ったところ、高野山の現在の壇上伽藍の立つ場所に落ちたのだとか。この投げた独鈷を探し高野山にたどり着くまでの旅の話は長いので割愛するが、空海の不思議な力は、独鈷に関わることが多い。

●いつしか「大師」は空海を指す言葉に

 帰国して比叡山に延暦寺を開いた最澄と高野山に伽藍を建立した空海の関係は、入唐する前の立場とずいぶん変化していった。最澄は空海に教えを請い、弟子を空海の元へ勉強に向かわせている。最澄の弟子のひとりは空海に心酔し、そのまま最澄の元へ戻らなかった。それほどまでに空海が唐で学んだ仏教の教えは、人々の心をつかんだのである。唐でも空海の能力の高さは評価され、高名な僧から自分の継承者としての地位を与えられてもいた。「大師」とは、本来、高僧を指す言葉であるが、日本各地で「大師さま」と言えば弘法大師を意味する言葉となった。これほど有名な僧は他には見当たらない。

●5千以上の伝説を持つ高僧

 たぶん、このせいでもあるのだろう。日本各地には「弘法大師が◯◯したもの」という建立物、書画、彫刻物、湧き水、温泉などを絡めた伝説が5千以上あるという。「弘法も筆の誤り」「弘法筆を択ばず」といったことわざを持つ書家としても高い評価を持つことから、特に書き物に関しての伝承は多いが、次いで目につくのは水に関するものである。

 水に困っている人々のために水源を掘り当てる空海伝説は各地に残る。「加持水」(かじみず)とは、本来、「祈祷した水」を指すものだが、空海が独鈷によって水を湧き出させた井戸や取水口は「加持水」や「独鈷水」と呼ばれている。また、空海は水を掘り当てるだけでなく、各地の有名温泉の源泉にも関与しているのだ。伊豆最古の温泉として知られる「修善寺温泉」は、長患いの父に孝行する少年のために温泉を湧出させたのが始まりという。この源泉は「独鈷の湯」という名で、今も修善寺川の川の中に保存されている。

●空海が残した恩恵

 高野山のすぐ近く「龍神温泉」は、日本三美人の湯として名高い良泉だが、難陀竜王のお告げにより空海が開湯した伝説が残るし、茨城県にはそのままの名「弘法大師温泉」が存在する。しかしながら、空海によって最も恩恵を受けたのは四国だろう。四国にとっての一番の観光の目玉「遍路」は、“弘法大師修行の遺跡である四国八十八か所の霊場を巡り歩くこと”であり、空海の生まれ故郷が讃岐国(現在の香川県)であったことから、ゆかりのお寺を参拝する旅を意味する。すでに室町時代ころには制定され、江戸時代には市井の人たちも巡礼するようになっていた。これがやがて、江戸や大阪などの都市圏に「写し」(その地域のお寺88ヶ寺をなぞらえる)を制定し、地域ごとの遍路が作り上げられていくのである。こうして眺めてみると、空海は高僧であるが、日本にとっては大いなる観光大使である。

●日本全国に広がる空海伝説

 東京都民の参加も決まった「GO TO キャンペーン」のニュースを見ていて、つくづく思った。日本のいくつかの観光地を支えているのは神社仏閣であり、逆に神社仏閣を支えているのも観光であるということを。中でも、空海はトップセールスマンと言えるかもしれない。生まれ故郷の四国から総本山である高野山、歩いてまわった温泉地や立ち寄った寺社など。高野山の奥の院では、今も修行中(と言われている)の空海に朝晩食事が供されているし、お遍路の最中、一緒に巡っている空海に出会うこともあるらしい──という伝説もある。

 最後に。空海の俗名(出家前の名)は佐伯眞魚(さえきまお)という。現代で名乗っても違和感はないどころか、むしろキラキラネームの類に入るのではないか。平安初期に生まれた人間につける名としては斬新すぎる。空海のあまりの超人ぶりに、もしかしたら現代からのタイムトラベラーではないかとの妄想に、燃料が加わる思いである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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