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2021年05月10日01:50

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 【質問】 シュメル初期王朝時代って何?

 【質問 kérdés】
 シュメル初期王朝時代って何?
Mi az Sumer Kora dinasztikus kor?

 【回答 válasz】
 初期王朝時代とは紀元前2900〜2335年頃の,前のジュムデト・ナスル期にメソポタミアに広がったシュメル人都市国家が,王朝を成立させ,セム系アッカド人のサルゴン王によって統一されるまでの約600年に渡って分立し抗争する覇権争いの時代を指す.

 初期王朝時代は考古学的には,バグダードの北東のディヤラ川流域にあるテル・アスマル(Tell Asmar)及びカファジェ(Khafaje)の発掘調査からの層位的証拠を基盤にして,さらに以下のように四分類される.
第I期(前2900〜2750年頃)
第II期(前2750〜2600年頃)
第III A期(前2600〜2500年頃)
第III B期(前2500〜2335年頃)

 初期王朝時代前半はほとんど史料が無く,よくわかっていない.
 「シュメル王朝表」に従うなら,I期はアッカド地方の都市国家キシュを中心としたキシュ第一王朝が栄え,II期のころにウルクに王権が移ってエンメルカル王やギルガメシュ王といった神話・伝承の主人公たちによるウルク第一王朝が,III A期にはウル第一王朝が始まったと思われる.
 この頃に築かれた「王墓」が1924〜32年の発掘で見つかっている.

 考古学的に実在が確認されている最古の王はキシュ第1王朝の王エンメバラゲシであり,彼が統治していたのは紀元前2800年頃と考えられている.
 エンメバラゲシの実在が確認された事から,伝説や碑文の中で共に登場するギルガメシュの実在もまた確実視されている.
 ギルガメシュは,シュメル王名表によればウルク第1王朝の第5代目の王であり,『ギルガメシュ叙事詩』によってその名を知られる.

 ある程度都市国家の興亡が見えて来るようになるのが前2500年以降,初期王朝第III B期のことである.
 この頃,メソポタミア南部における諸都市国家の抗争の中でキシュ,ニップル,アダブ,シュルッパク,ウンマ,ラガシュ,ウルクの七都市が台頭して他の都市を従属させて地域国家化するようになった.
 後にウル第三王朝を興すウルは,七都市に次ぐ都市だがウルクに従属していた.
 七都市の抗争と合従連衡の中で宗主権的地位を占める都市の王は,「キシュ市の王」という称号を名乗った.
 この「キシュ市の王」という称号は象徴的なもので,実際にキシュ市を支配したとは限らず,覇権を争う諸王の中で他を圧する武力に秀でた王であることを示すに過ぎない.

 この都市国家間の抗争の中で,記録に残る世界最古の戦争「ラガシュ・ウンマ戦争」が勃発している.
 この戦争は戦勝記念碑ハゲワシの碑 Stele of the Vultures によれば,チグリス川沿岸の土地「グ・エディン・ナ」における水利権を巡ってラガシュとウンマとが争ったもので,ラガシュの王ウル・ナンシェの孫エアンナトゥムの治世(紀元前2450年)の時代に発生している.

 そして覇権争いの中でウルク王エンシャクシュアンナが主導権を握るが,前2370年頃にウンマ王となったルガルザゲシ王はラガシュを滅ぼし,ウルクを征服してウルク王に即位.
 前ウルク王エンシャクシュアンナが称した王号「国土の王」を受け継いでシュメル諸都市の統一に成功した.

 メソポタミア統一王権成立へ向けた動きが始まるが,ルガルザゲシ王はキシュの北で勢力を拡大するアッカド王サルゴンと激しく争い,ついにルガルザゲシ王はサルゴン王に敗れ,シュメル人による初期王朝時代は終わり,アッカド王によるメソポタミアの統一王権が誕生した.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-004.html
https://call-of-history.com/archives/20502#toc3
https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/EnvPlanLecture/EnvCulture03_2013.pdf

シュメルとアッカドの領域
(図No. faq210508sm,こちらより引用)
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