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2020年02月22日05:14

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山の辺の道

 大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる大和しうるわし。
(大和は国の中で一番良いところ。
幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和はほんとうにうるわしいところ)
 
 山の辺の道には著名人が書した万葉歌の歌碑が多数設置されているが、
この倭建命の歌の歌碑は、川端康成がみずから選んだ場所、
 耳成山や箸墓古墳など大和盆地が見降ろせる、檜原神社(ひばらじんじゃ)近くの
井寺池のほとりに置かれている。
 ただし、歌碑作成前に川端康成氏が自害なされた為、
その字は過去の筆記の字が当てられた。

  また、古代史好きの俳優刈谷俊介氏はその著作に、
高天原に対する日本国の古名である「芦原の中つ国」を
葦の生い茂る低湿地の大和盆地を指すと書いている。

  7世紀初頭に造られた大和最古の道。
奈良盆地の南東にそびえる三輪山の裾野を縫うように、
奈良から桜井までの26kmにわたり道が延びる。
 
 この山の辺の道から青い山々に囲まれた奈良盆地の風景を眺めると、
いにしえの人々の生活ぶりが思い浮かばされる。

 そして、この山の辺の道の周辺には、古墳時代前期の古墳が最も集中し、
かつ規模の大きい古墳が多い大和古墳群があり、
南北約4キロ。東西約1キロの範囲に約50基の古墳が分布し、
北のかよ古墳群、真ん中の柳本古墳群、南の箸中古墳群に分けられる。

大神神社鳥居前のそうめん屋は酒がないので、ポットに山田錦を入れていったのだが、
2月21日は臨時休業だった。
それにしても一人で21700歩も歩いたのは、何十年ぶり。

http://small-life.com/archives/12/06/1422.php

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