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2019年12月06日05:33

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血涙の上奏

以下は死を直前にした北畠顕家が書いた、後醍醐天皇への上奏文である。
 
 先ず九州および東北に有意の人材を派遣して皇化を布き、山陽と北陸に藩鎮を置いて非常の変に供えらるべきこと。

 次に仁徳、醍醐両天皇の聖跡に習って、三年の間、諸国の租税を免じて民の肩を憩わしめ、倹約を専らにし、一切の新事業を停止し、ぜいたくを止めて頂きたい。

 また、官吏の登用および恩賞は慎重にせられたい。徳行なくしてみだりに高官位をおかすがごときは以ての外である。功ある者といえども是を賞するには土地を与えられたい。みだりに高位高官を授けられる時は僭上の基となるであろう。ことに君側(天皇の側近)に常に侍り奉る者は、この非常の時に於いてこそ、一身を捧げて忠節を尽くすことが当然であるにもかかわらず、無事の日には括として大禄むさぼりながら一日難儀に際すれば、たちまち膝を屈して逆徒の前に降伏するが如きは、まさにこれ乱臣族子であり、その罪は死すとも償い難い。

 然るにまだ王化に染まない辺境の土卒にして、忠を懐い節に死する者が多いにもかかわらず、まだ聖恩がこれからの無名戦士に及ばぬことは、たしかに政道の一矢である。故に功もない人びとの所領を没収して、これらの恵まれない土卒に分かち賜らんことをお願い申し上げたい。
 (「辺境の士卒」というのは、まさに奥羽54軍の兵士を指したもので、これらの勇士を率いて二度までも西上、血と涙のにじむ難行軍を強行した顕家としては、兵士の辛苦を人一倍思い、積もり積もった思いが堰を切ったのであろう)

今や天下を挙げて戦乱の巷と化し、庶民が塗炭の苦しみに際合しているから、人民の苦労を増すような「臨時の行幸」の如きは、一切お取りやめいただきたい。遊幸宴飲(酒宴)は国を乱す基となるから先聖はこれを禁じ、古典はこれを諫めている。長夜の宴食はこれをやめられよ。
 
 法令はつとめて厳粛にし、その改廃は特に慎重にせられたい。朝に令して夕に改むる如き無定見では法の尊厳などない。

 さらに政道に有益ではない愚直を除かせられるべきこと。近年、公卿、官女および僧侶らのうちにも機務に害をなし、朝廷の政事を冒とくするが如き輩がいる。よろしく直を挙げ、信賞必罰を明かにして人事の進退を公平にせねばならならぬ。
陛下もし臣の諫言をお用いにならねば御代の太平は決して望まれないでございましょう。もし幸いに御嘉納を賜りますれば、綱紀粛正の日は待つべきものがあります。

 伏してこい願い、下愚の懇情を察せられんことを慎んで奏す。

 延元元年5月15日
 従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍
            臣源朝臣顕家上

  「かえらじと かねて思えば梓弓 
   なき数に入る 名をとぞとどむる」
      楠木正成
 戦国時代はおろか、昭和の今時大戦に至るまで、武将や兵士が出陣にあたり、遺書をあらわすならわしは、この顕家の上奏文と正幸の辞世の歌が大きく教訓とさえなったのである。

 横山高治著 花将軍 北畠顕家 より
 
アベさんにも読ませたいような。


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