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2017年09月11日05:42

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飛鳥寺西方遺跡

飛鳥西方遺跡
大口の 真神の原に 降る雪はいたくな降りそ 家もあらなくに
      万葉集 巻八 舎人娘子

飛鳥寺周辺のこの平地は古代「真神原」(まかみのはら)と呼ばれた。真神とは狼のこと。
寺院が出来できあがる以前は「大きな口の」狼が徘徊する原野であったのであろう。

飛鳥寺の西には「飛鳥寺西槻下」などと「日本書紀に書かれ「槻の下広場」といわれるところ。
「槻」とは欅(ケヤキ)の古名であり、ケヤキは巨木となることが多く、神聖視される事例も多い。

この場所では、蘇我入鹿を刺殺した大化の改新(乙巳の変)の序曲、中大兄皇子と中臣鎌足の蹴鞠での出会い、
皇極4(645)年、槻の樹の下で孝徳天皇、皇極前天皇、皇太子中大兄皇子らが臣下を集めて、忠誠を誓わし、仁申の乱の際には近江朝廷側の陣営が置かれた。

そして、天武・持統朝では、種子島人や隼人・蝦夷らを饗応した。

ミロク石
飛鳥川の水を田畑に取り入れるための木の葉堰。
ミロクさんは川中に置かれて水を堰に導く大石であっただろう。
それが石を水中から引き上げたという旧歴8月5日が毎年のお祭り日となった。
「ミロクさん」地域の人々の田畑を潤しくれる飛鳥川に感謝し、ひでりや長雨を止めてもらう祈りの対象であったが、歩いて通う人たちや伊勢・吉野巡業の人々の足腰を守る仏様に変わり、草鞋が添えられている。


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