1月24日(金) 天気は覚えてない
午後4時45分、自宅のベットの上で息を引き取った。83歳。
朝はみんなで食卓を囲んだのだ。バームクーヘンひとかけとヨーグルト。昼もゼリーを少し食べたのだ。
昨日からの痛みが続く。かなり辛そうだ。病院からもらっていた薬では痛みが取れないようなので、病院に電話してより強い薬がもらえることになり、半田まで行く。10時半。同時に母を看てもらうために義父母に来てもらう。
帰宅1時過ぎ帰宅。母はまだ痛みに耐えうなっている。薬を飲ませる。薬は効かないようで、それからも2時間くらいかなりひどく痛みに耐えうなり痛い痛いという。昨日は主に足、今日は腕が痛いという。ある部分には薬が効いて痛みが治まったとも言っていた。
今思えば、その後、薬が効いて夢うつつになっていたのだと思うが「ごめんなさい、ごめんなさい、にいちゃん、にいちゃん、すいません、すいません」このフレーズを何十回と少なくとも30分は繰り返していた。意味は不明。僕になにかうったえていたのか。とにかく「にいちゃん、にいちゃん」と僕を呼んでいた。ぼくもつきっきりで手をにぎり、肩、手足をさすった。
3時過ぎだろうか、うわごとを言うのが収まる。虚ろ半目の状態で肩で大きく息をする状態になる。最初は枕元で手を握っていたが、状態が落ち着いたのだなあと思い、手を握ったまま、ベットの横に横になり、僕も少々居眠りをする。ちょっと居眠りをしてふと目を覚まし母と視線を合わせると、母の目はグッと力を持って僕の方を見つめているように見えた。
4時前、これからお世話になる予定の柳沢クリニックに今後のことを相談に伺う。この時点で母の死が間近に迫っているとは思っていない。
病院の待合室、シホクンから電話。息を引きっとった。伺った柳沢先生が自宅に同行して下さり、死亡の診断をしてくれた。
家は消防車、救急車、警察と物々しい。あゆむが涙が出ないまま泣いている。
現在、翌朝5時半、母はいつもと変わらぬ顔をしていつもの部屋でいつものベットで眠っている。しかし、永眠なのだ。
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