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2019年05月30日22:52

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【時評】女性宮家賛成・反対派は不誠実

女性宮家の是非が、明治以後の皇室典範をもとに議論が進んでいる。
明治以前はどうだったのか?とか、
旧皇室典範はどのようにして作られたのか?、
明治天皇や元勲らは、どう考えていたのか?、など、国民が知っておくべき情報を、反対派は語らない。
知らないならば不勉強。知っていて語らないのなら不誠実。
困ったことだ。

皇統とは、天照大神の子孫(天壌無窮の神勅)、男系も女系もない。
皇統に属する男系の男子
皇統に属する男系の女子
皇統に属する女系の男子
皇統に属する女系の女子
すべてアリなのです。田中卓、高森明勅両氏の説明です。

明治以前には、継嗣令(ケイシリョウ)という法律で皇族の身分や皇位継承資格を定めていました。
天皇の子孫、5親等(当時の言葉では5世)までは天皇に即位できました。
これは継体天皇(26代)が、応神天皇(15代)の5親等の子孫という前例に従っています。
江戸時代以前は、先祖が天皇というだけでは天皇になれませんでした。
5親等という制限があったのです。
これは出自に与えられる資格であって、継承する先帝との間柄ではありません。もちろん、女性も天皇に即位できました。
称徳天皇(48代)と光仁天皇(49代)は5親等以上も離れていますが、光仁天皇は天智天皇(38代)の孫(2親等)なので、即位の資格を有します。

明治時代、皇室典範を作るとき、明治天皇や公家(岩倉具視、三条実美)は女系継承を容認していました。
もちろん女帝も。
皇婿(こうせい、女帝の婿)という言葉も、この時代には使われています。
注:2019.06.05、皇室典範のもととなった皇室制規に、天皇や公家の考えが反映している。

明治天皇の希望は、譲位容認、永世皇族不可、内親王の女性宮家容認、女帝容認 、庶子(側室の子)に継承権なし
伊藤博文:譲位不可、女系継承容認、女帝容認、庶子に継承権なし
これらは皇室典範の草案(皇室制規)に盛り込まれました。
明治天皇と伊藤博文の違いは、譲位の是非だけです。

これに対して、井上毅は、譲位容認、永世皇族容認、女系継承不可、内親王の女性宮家不可、女帝不可、庶子(側室の子)にも継承権あり 。
井上毅は「謹具意見」を提出して、反対しました(明治18〜19年頃)
国学を基礎教養とし、有職故実(ゆうそくこじつ)を理解している天皇・公家が女系継承を容認し、
漢籍・儒学を基礎教養とする井上毅が女系継承を否定。しかも井上毅案が採用。
不可解な展開は、伊藤博文の政治的決断。
伊藤博文は政府の分裂を恐れたのです。
そこで井上毅案を参考にして皇室典範を作成しました。

しかしこの時、井上の「皇統は男統(男系)に存する」という主張は採用しませんでした。採用したのは
「皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子 之ヲ継承ス」という条文です。
現在の皇室典範にも引き継がれています
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」
旧皇室典範を作成したときから、女系も皇統に含まれていたのです。
枢密院議事録には、
「皇統には女系も含まれる」という解釈の余地を残さないために、
「皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子 之ヲ継承ス」と定めたとあります。
この不思議な珍答をしたのは、もちろん伊藤博文です。
井上毅を納得させるために、「皇統は男系」と言いつつ、法律には女系を含む意味の文言を残しました。
明治天皇の意向を最後まで残したと思われます。

注:2019.06.05、皇室典範は政治上の妥協で作成された。守るべき聖典ではない。
むしろ原点である皇室制規を重視すべき。

明治天皇の意向で、後に皇室典範には法律が増補されます。中心となったのは伊藤博文。
皇族の臣籍降下が容認されました。
伊藤は時間をかけて、井上毅の構想を改変する戦術をとりました。
井上毅が制度化した永世皇族制は、実質的に廃止となります(大正9年:臣籍降下施行準則)
さらに後、現皇室と縁の薄い皇族は、昭和天皇によって降下させられます(これが、いま話題の旧皇族)
伊藤博文は、さらに皇室典範を増補して、女系継承も明文化したかったのではないでしょうか。
政権が強固になったときか、あるいは井上毅の政治力が弱まったときを狙っていたものの、増補する前に暗殺されてしまいました。
明治天皇が望んだ譲位は、平成になって、ようやく実現しました。

井上毅が男系(父系)に固執した理由は不明です。井上毅の人物研究が進めば、いずれは分かるかもしれません。
そもそも父系継承は大陸の文化です。
宗族(そうぞく、しゅうぞく)という父系同族集団の継承制度です。
族譜という、宗族の系図(世系)を中心に重要な人物の事績、重要な事件、あるいは家訓などを記載した文書を作成して、一族の結束を強固なものにします。
これには母系の先祖・子孫は掲載されません。
家譜、譜牒,宗譜、家乗、世譜、世牒、支譜、房譜などともいいます。
日本では由緒書。家譜は系図の別称です。
族譜を参考にして、皇統譜が作られたようです。類似していますが、皇統譜には女性天皇が掲載されています。
皇統譜には母系のつながりが排除されています。
父系のつながりだけの系図を見て、男系、父系、Y遺伝子ガーと騒ぐのは、滑稽なことです。

井上毅は、天皇を中華皇帝にすることが、文明化と思っていたのかもしれません。
皇室および一般的な日本の血族は、氏姓制なのです。
女系が容認されていて、入り婿婚や一族同士の結婚(同姓婚)も許されています。
井上毅は、日本古来の伝統を破壊しようとしたのです。
今となっては、理由はわかりません。
今後の研究が待たれます。

関連する日記 追記19.07.19、再追記2019.10.22
【時評】女性宮家賛成・明治天皇は女系を認められていた 2019年10月21日
https://open.mixi.jp/user/7741892/diary/1973384366
【時評】女性宮家賛成・皇国史観にNO! 2019年06月13日
https://open.mixi.jp/user/7741892/diary/1971882577
【時評】女性宮家賛成・皇統は直系継承 2019年06月20日
https://open.mixi.jp/user/7741892/diary/1971965119
【時評】女性宮家賛成・父系優先血統主義は女性差別 2019年06月27日
https://open.mixi.jp/user/7741892/diary/1972047672
【時評】南北朝時代の天皇の子孫を皇族にする!? 2019年03月21日
https://open.mixi.jp/user/7741892/diary/1970827778


参考資料
国史大辞典、皇室典範(2019.06.10.追加)
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=132

皇室典範に関する有識者会議 報 告 書 平成17年11月24日
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html

皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理(平成24年10月5日公表)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/pdf/121005koushitsu.pdf

旧皇室典範制定時の考え方
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai2/2siryou3.pdf

皇室典範草案談話要録
謹具意見
枢密院議事録:明治 21 年 5 月 28 日


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■秋篠宮家バッシングは陰謀か?「愛子天皇」待望論者のカンちがい/倉山満
(日刊SPA! - 05月27日 08:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=5636460

追記:2019.06.05、注を追加しました。
2019.06.10、参考資料に国史大辞典、皇室典範を追加しました。
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