右利きの人は利き脳が論理を司る左脳で、左利きの人は利き脳がフィーリングや感覚を司る右脳だ、と通常は言われるけど、利き脳の左右がインプット脳とアウトプット脳で違う場合があるので、注意深い観察を促すために、日記をしたためることにした。上に掲載し
言語使用とは、たとえば、まず、バラという主語について美しいという述語を繰り出して「バラは美しい」という文を作って、ついで、主述を反転させて「美しいバラは」と述語を主語に繰り入れて文を語レベルに圧縮してそれについて述語を述べる欄を空けたならば
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」とは言われるにせよ、苦労の経験が経験値となってレベルアップできるとは一概には言えない。経験がトラウマになって、二度と苦労なんかするもんかとふてくされて努力しなくなってしまう人もいれば、あのときの苦労に比べれ
僕は頭が悪く、心理構造は体育会系で、体育の授業では、相撲とか砲丸投げとか、運動神経不要の力任せの競技では、実はクラスで屈指の成績を誇っていた。学校でいじめられなかったのは、腕力社会である子供社会で、格上のほうに地位を与えられて一目置かれてい
人間は狂った猿で、文化に洗脳されない限り、誇大妄想狂だから、ニートを甘やかして付け上がらせれば、洗脳が解けて、図に乗って、俺は天才だと叫んでいるかの如き文章を書き散らすうざいネット弁慶になるので、そういう奴は、個性の多様性が無限であることを
自己が他者に規定されることを拒否して、お仕着せられた見られる自己をかなぐり捨てて、誇大自己を噴出させる所に、統合失調症の本質があるので、統合失調症患者は自分を統合失調症患者と客観視しなくて、裸の王様であり続ける。精神医学者レインは、統合失調
子は程々に甘やかされる必要はあるが、厳しくする所は厳しくせねば子を駄目にする。程々に肯定して程々に否定するという両極端の間の中庸こそ人間を完成させる子育てだ、と心理学者コフートは言った。なぜならば、人間は本能が壊れた動物だから、本能を否定す
スピリチュアルにおけるハイヤーセルフや、ユングの集合的無意識や、フロイトの超自我は、無意識が意識下にあるとは限らなくて、意識より上に無意識がある、というふうに、意識と無意識が上下反転している場合があることを、示唆している、概念である。男は皆