mixiユーザー(id:766386)

2020年07月21日14:48

133 view

駄文

遺伝子は細胞の設計図だけど、神の心の中に世界創造の設計図が存在するのと同じように、遺伝子は物質ではなく心の中にしか存在しない幻覚なのではないか、という仮説を、思い切って提唱してみようと思う。

六十兆個の細胞の中にある人間の遺伝子の情報は、すべて同じなのに、なぜ、心臓の細胞は心臓の細胞にしかならず、髪の毛の細胞は髪の毛の細胞にしかならず、遺伝子は空気を読まずに心臓に毛が生えるということをしでかすことはないのか、という謎に対して、遺伝子こそ空気を読む心の座だからだ、という答えが考えられる。

遺伝子が空気読めない単なる物質ならば、個々の細胞は、多細胞生物という細胞社会の全体内の自分の位置情報を、知り得ず、同じ一つの設計図が異なる細胞を作り出すことはありえないはずだ。

原因が同じなのに結果が異なるということは、物質界においては、ありえない。

もし世界が物質のみで出来ているのだとすれば、今から起きる事は今まで起きた事のみに起因するという運命論が正しいことになるわけだけど、生物の基本単位をなす細胞は、「原因なしに事を起こす能力」と定義される、心という「自由意志」を、行使し得る。

神は世界創造後も世界進行に介入して神の見えざる手を行使して奇跡を起こす時があって、我々生物は神の意志が思し召した奇跡に立ち会っている現場なのだ。

たとえば、クローン羊はどうやって作るかと言えば、羊から乳腺細胞を摘出して、シャーレに入れて、飢餓状態にして、生死の瀬戸際に追い込んで生きんとする意志を刺激して死に物狂いにさせるのだ。

そうすると、細胞は、自分に勝って、火事場の馬鹿力を発揮して、眠れる潜在能力を顕在化させて、夢の若返りを実現させて、パワーアップして、何にでもなれる万能細胞になるグループと、自分に負けて、滅びて死に絶えるグループに、二極分化する。

前者のグループがクローンを再生する、というわけだ。

このように、飢餓状態に追い込まれたという同じ一つの原因が異なる二つの結果を生み出す。

自分に勝つか自分に負けるかという二つの運命のうちのどちらかを選ぶ、選択の自由があって、心という意志は意志次第で運命を変えられるのだ。

だとすれば、遺伝子は物質ではなく心の中にしかない幻覚だと言えるのではないか。

物質の状態は一義に定まっているけど、夢や幻の類というのは、たとえば夢の中のAという登場人物とBという登場人物とCという登場人物が重ね合わせられた状態で同一人物として現れてくる、というふうに、多義的なのだ。

同一の遺伝子が、心臓の細胞を作り出したり、髪の毛の細胞を作り出したり、異なる多くの細胞を形作って、多細胞生物という細胞社会の分業体制を形成できるのは、そのような幻覚の象徴的な多義性のゆえなのではあるまいか。

遺伝子のらせんは、時間方向に延びているはずのものが空間方向に延びているという異なる次元の混同で、すなわち、同じことの繰り返しが同じことの繰り返しのようでいて、ループをアングル変えて見れば、らせん的に上昇するスパイラルをなしているから、同じことの繰り返しでもその意味や深さは違う、という歴史性を、象徴している、と言えるのではないか。

正のスパイラルを描いて上昇するか、負のスパイラルを描いて下降するか、意志次第なのだろう。

時間次元のものが空間内に収納されるという異次元へのワープが可能ならしめられているのは、遺伝子が幻覚だからなのではないか。

非科学的な、いい加減なことを、言っている、と思われるかもしれないけれど、遺伝子工学を勉強していると、そのような雰囲気を感じるような気がする、ということだ。

実証科学的な話をすれば、プラナリアに光という刺激を与えて条件反射を形成させてから、それをすり潰してガーゼを通して、バラバラの細胞にしてから、別のプラナリアに食べさせると、学習内容が移って光に対する反応が形成される、という実験結果によって、細胞一つ一つの遺伝子が記憶という心的な機能を司っている、という事実が、示されている。
6 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する