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2020年07月09日12:05

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笑いについて

僕の中央大学時代の木田元という先生は、哲学者らしくない哲学者で、気難しくて不機嫌な近寄り難い哲学者が多い中で、いつも楽しそうにニコニコしておられた。

哲学を志す以前に、戦後間もない焼け跡で闇屋をやってホームレス同然の生活をして、現状を嘆いたり愚痴ったりしても惨めになるだけだから、笑い飛ばすしかないか、って発想を切り替えて、くだらないことでも何でも笑いに変えて、笑いのネタになるものを見付けてはそれをネタに仕立て上げて仲間と笑い転げ合って、笑っている間だけは、惨めな現実に取り込まれて窒息死しそうになっている自分が息を吹き返すことができて、現実にどっぷり浸かっていなくて済んだ、という経験をするうちに、ニコニコしている癖が培われたのだそうだ。

私は根が暗いからこそ、悲観主義者だからこそ、悲観視される現実からのその場限りの超越を試みて明るく笑うようにすることが習慣付いているのであって、そういう私を見て、ネアカな楽観主義者だと思う人もいて、哲学なんかやっている癖によくそうあっけらかんと笑っていられるもんだね、などと言われることがあるけど、私は周囲を和ませるためのサービス精神で笑顔を見せているのでもあるわけだから、否定したりしないけど、内心は、いや、俺はネアカなんかではない、その逆だからこそ、表向きの明るさが可能になるんだ、と思っている、と著書で種明かししておられた。

そう言えば、木田元先生が好きだったニーチェは、『悲劇の誕生』でギリシャ喜劇とギリシャ悲劇に同じ根っこを見て取って、根本に暗い悲観主義があるからこそ表向きの明るさは可能になるのだ、みたいなことを書いていた。

同じことを言っていたのだと思う。

笑う門には福来たる、と言う。

もちろん僕は、木田元先生のような域にはまだまだ達し得ないでいるけど、それでも自分なりには苦労を経験してきたという自負があるからこそ、堂々と胸を張って明るく笑って生きていこうと思う。

「頑張る」って言葉に「顔晴る」と当て字する文化もあるけど、笑顔でいることに努力することを心掛けることを忘れないようにしたい。
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