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2020年01月08日05:36

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無限論の教室

光子に代表される光速度運動する重さのない素粒子が無限個集まって凝り固まったら重さのある物質粒子になるのだけど、重さのある物質においては時間が空間化しているのに対して、重さのない光においては時間から空間が未だ分化していない、ということは、三次元の空間をトランポリンのように水平に張られた二次元のゴム膜面に喩えてその上に置かれた物質の重さが膜面を水平方向とは直角に交わる下方向に膨らませることによってできる斜面を周囲の物質が転がり落ちることとして落下現象という重力現象を説明する、相対性理論によれば、重さのある物質においては時間軸と空間軸が直角に交わって90度をなしているのに対して、重さのない光においては、縦軸をなす時間軸が交点を中心とする時計回りの45度回転を、横軸をなす空間軸が交点を中心とする反時計回りの45度回転を、していることによって、時間軸に空間軸が一致している、ということだ。

そして、単位時間が虚数√‐1で、単位空間が実数1だ。

したがって、直角三角形に関するピタゴラスの三平方の定理によれば、虚数√‐1の平方である‐1と実数1の平方である1の和の平方根は0である、というふうに、光においては直角二等辺三角形の斜辺をなす時間軸上の任意の二点間の距離は0である。

すなわち、時間の流速をなす、光速は、無限大である。

これすなわち、光は過去現在未来の全時間に遍在しているままで止まっている、ということだ。

物質が時間を縮ませて空間を膨らませるのに対して光は時間を膨らませて空間を縮ませる、ということは、光が存在する一点に全空間が収縮しているために、光は、全空間に遍在していて時間経過なしに空間移動していることになる、という意味で、速度無限大で運動していることになる。

したがって、運動している光源から運動している方向へ光を放ったとしても、無限大に何を足しても無限大のままで変わらないから、光速度は不変である、という光速度不変の原理が、導かれることになる。

ところが、観測データによれば、太陽から放たれた光が約1億5千万キロメートルだけ離れた地球に到達するのは約8分後である、というふうに、計算上、光速度は、秒速30万キロメートルという有限速度である、ということが、分かっている。

有限速度の光が速度無限大であるというのは矛盾である。

このことは、白か黒かしかないとする無矛盾を本質とする物質と違い、光は、白も黒も内包するグレーゾーンという矛盾を本質とする、心である、ということを、物語っているのだけど、光が時間で、物質が空間で、物質で出来た、空間を、動かしている、時間が、心という意志である。

ここで、陰陽入り混じった混沌という中性的一元が再び一つになることを目指して努力する陰陽二元に分化したことによって、物質で出来た、この世は、創られた、とする、古代中国の創世神話である、陰陽思想は、黒を陰と、白を陽と、言い換えた、唯心論的世界観を、言い表したもので、創世以前においては陽から陰が分化していないとは、光という根源的存在においては時間から空間が分化していないということだ。

グレーという一元が白黒という二元になり、二元が再び一元になる、という同じことの繰り返しでも、その意味や深さは違うから、ループはアングル変えて見ればスパイラルをなしている。

正のスパイラルを描いて上昇運動するか負のスパイラルを描いて下降運動するかは自由意志次第だろう。

しかし、無理して頑張ると反動が来てスパイラルは正方向に進んだ分だけ負方向に進むので、やはりループは上昇も下降もしていない状態が常態なのかもしれない。

程々に頑張ることによって頑張りを長続きさせて現状維持に甘んずるところに妥協点を見出すしかないのかもしれない。

そのことを、ショーペンハウアーの哲学を受け継いだニーチェは、「永劫回帰。嘔吐。嘔吐。」と言ったのだろう。
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