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2019年11月12日09:24

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悟り方講座

世界の99.99…%が無生物界で生物界は0.00…%なのに、なぜ自分は無生物でなく選りに選って生物なのか、と言えば、無生物には自分を自覚しない無意識的段階の心しかなく、ちょうど怪我をした子供が怪我をしたことでは泣かなかったのに大人から可哀想ねと言われて初めて泣き出すということがあることから分かるように、無生物の心は何かを感じていても何かを感じている心を振り返る反省的意識がないために何も感じていないも同然だからだろう。

生物は、水と混じり合う油だ。

水と油は、不倶戴天の敵だから、無生物界においては、水は水同士で、油は油同士で、棲み分けていて、そこに葛藤はなく、したがって、無生物の心に、理性と本能の葛藤としての感情は、生起していない。

三十八億年前の地球上の海の水の中の一滴の油に、生命の起源は、あるのだけど、油が水と棲み分けたい、という意志に逆らう、油が水と棲み分けるわけにいかない、という現実が、葛藤を生じて、水という外的現実が突き付けてくる要求と油の本能的欲求の葛藤を内面化した結果として、理性と本能由来の感情との相克を、経験する、生物が、誕生した。

ちょうど、我々人間が身体全体の健康のことは気にも留めないで靴擦れのする小さな箇所が気になるという具合に、心は、意志通りにいっていないほんの小さな事を気にして意志通りに運んでいる事柄全体には気付きもしないので、無生物界全体の中に生物界が誕生して、初めて、心が感じているレベルの上にそれに気付いているレベルが積み上げられたのだ。

心が感じていることに気付いているという自覚があるところには、自覚する自己と自覚される自己という二つが混じり合って不可分一体をなすことが、あるわけだけど、心が、自覚する自己である水という上位レベルと自覚される自己である油という下位レベルの二つが混然一体をなすことによる、自己意識の段階に、高まったときに、生物界は出来上がった。

生物の意識は、無生物の無意識を、抑圧する。

生物界は現実が意志通りになっていない地獄で、無生物界は現実が意志通りになっている天国だ、とすれば、人が生きているままで、この世を天国と感じる感性への理性による抑圧から、解放されることこそ、キリスト教信者の神秘体験なのかもしれないし、仏教で説かれている悟りなのかもしれない。

果たして、そんな芸当が、本当に可能なのかは、保証の限りではないが。
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