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2019年10月10日17:29

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どっちつかず

心が、自己の内に違和感を異物感として感じて、それを異物として排外して、外界の他者としては、外界の他者との対立で葛藤した挙句に、和解して、外界の他者を自己の内に受け入れる、ということの、繰り返しこそ、世界の健全な存在の仕方だ、と、哲学者ハイデガーは言った。

つまり、即物的思考が表面を上滑りすることに終始する論理的思考で、原因追求型思考が表面を突き破って表面とは直角に交わる方向に掘り下げる心についての思考だとすれば、外への排出を本質とする、論理的思考は、論理的思考だけで、単純に、できて、内への受け入れを本質とする、原因追求型思考は、原因追求型思考だけで、単純に、できるのが、精神の健全な健常者であるのに対して、精神障害者である、僕は、論理的思考と原因追求型思考を、同時に組み合わせてしか、思考できなくて、思考が複雑に入り組みすぎていて、情報処理量が大きすぎるパソコンが重たくなってフリーズするみたいに、思考が途切れて停止してしまっている状態が常態になっている、という意味で、思考障害を、来たしている。

今について考えようとしたら、その時点で既に、その今は過ぎ去って過去になっていて、それに取って代わる次の瞬間が今になっているから、その今に目を奪われてしまい、考えようとしていたことについて考えられない、というふうに、寸断された途切れ途切れの今が、現時点が、点々のままで、線としてつながらなくて、論理の筋道が、通らない。

流動的な外的現実についての時間軸という数直線上を上滑りする即物的思考が論理的思考で、現時点という一点について線と直角に交わる方向に掘り下げる心についての思考が原因追求型思考で、この両方を同時にしかできない、という、どっちつかずな思考傾向のために、両方共どっちもできないのを、思考障害と言うのだ。

統合失調感情障害と言って、統合失調症的な自他分離傾向と、陽気な感情と陰気な感情の間を行ったり来たりする躁鬱病的な自他融合傾向が、混在していて、自他という二つが分裂していながら分離し切れておらず、二つを一つにつなぎ合わせる、涙の軌道も、通路として、開通していて、心が二つとその中間の一つで合計三つに分かれていて、三領域へ広く注意が分散しているために、思考が発散し消滅し途絶していて、呆け老人のように、意識が朦朧として、意識障害を来たしている、レアケースに、僕は、該当する。
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