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2019年09月21日09:24

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駄文

思うに、僕が学校生活において集団行動の中で動かされているのが苦痛ではなかったのは、子供時代は素の自分を正直に出して好かれていて、周囲と良好な関係が築けていたからだろう。

なぜ否定されて育った僕が素の自分をさらけ出せていたのか、と言えば、素の自分を抑圧否定しすぎて、否定の否定で、二重否定で、肯定に、転じていたからだろう。

人間が、本能を否定する理性を親から植え付けられて、理性によって否定された本能が感情に変容して、理性と感情の葛藤を経験するようになって、理性と感情と本能という三重構造を心が形作るようになるのは、しつけを受けて行動の領域を否定されながら育つからだけど、僕の場合は、親にしつけられておらず、行動の領域を否定されて育ったのでなく、兄に思考の領域という上部構造だけを否定されて育ったために、本能という土台の直接上にあるべき感情がなくて、本来ならば本能を否定するはずの理性が本能という下部構造から浮き上がったところに空中楼閣のように築き上げられていて、理性による否定が本能という根っこに届いておらず、否定されながら育ったのにもかかわらず、本能的に体が人という刺激に対して反射的に反応を返している、というふうに、そうと気付かずに、素がだだ漏れだったのだ。

すなわち、理性による本能への抑圧否定が感情を形成して、理性と感情と本能という心の三重構造を成り立たしめるのだけど、体が本能的に感じていることに心が気付くことを可能にするのは本能と理性の間を埋めている感情で、理性と本能という二つの極端の間の中間にあるはずの感情というもう一つの心の領域がないことによって、理性によって抑圧否定された本能由来の心的内容が、感情という一段下の領域に抑え込まれるのでなく、もう一段下にまで抑え付けられて本能という忘却の彼方の領域にまで追い払い切られてしまい、否定の否定で、二重否定で、本能の肯定に転じて、それと気付かぬうちに、生命の肯定が体現されている、という構図として、僕の心は、成り立っているのだ。

だから、自分が心の奥底で欲していることや感じていることに気付けなくて、心の声を言の葉に乗せることの困難を負っていて、如何なるコミュニティでもコミュニケーションが成り立たないのだけど、体で感じているレベルを頭で考えているレベルに高めることはできなくても、体は人に対して反応して自動的に動いていたために、無意識のうちに集団行動の中で動かされている状態が常態だった、僕は、放課後も、クラスメイトたちに誘われて、鬼ごっこして走り回ったり、相撲で力比べしたり、野球やらサッカーやら卓球などのスポーツに参加したり、していて、癒合的社会性が、成り立っていた。

このように、コミュ障のままで、子供時代は、通用してきた。

しかし、大人になるにつれて、コミュ障の自分が通用しなくなってきて、言葉で言い繕わなければ社会に受け入れられない立場になって、気持ちを言葉にする術を身に付けようとして、理性と本能という二つの極端に引き裂かれた自己を統一して心を三重構造にすることを、目標として、それなりに努力してきたつもりだけど、二つの極端に引き裂かれた自己と、これが統一体としての自分だとして自分以外の者に対して結んで見せる自己像との、大きな乖離に、ずっと悩んできて、これが自分だと思っている自分を演じる演技を板に付かせられなくて、自然体な統一体を、提示して見せることがずっとできないできた。

いつも、不器用にしか身に付いていない礼儀正しさの仮面は、真心の欠如した虚礼で、芝居がかっていて、これは本音を言っているなと思わせて気持ちを感じさせる部分と、言い回しの美しさや比喩の奇抜さのために言っているとしか思われない内容空疎な部分が、ちぐはぐに混ざり合っている、僕の言説の語り口は、ぎこちなく、表向きのキャラを前面に打ち出すことによって後ろに隠して見せまいとしている裏面を隠し切れずに垣間見せて恥を掻いてばかりいる、裸の王様である、僕は、表と裏の自己不一致に悩み続ける、内省的存在だ。

肯定は多くのものを一つにするのに対して否定は一つのものを多くのものにするために、否定されながら育って一つの心全体が多くの部分に分解してしまった僕は、心が解体して単純化している分を補うために思考の脈絡が複雑化している、という意味で、感情の平板化を主症状とする解体型の統合失調症患者である。

我が子を千尋の谷底に突き落として、這い上がって来なければ育てない、獅子のように、厳しかった、母は、僕を、育てなかったのだけど、母は自分からは我が子に働き掛けない親だったからこそ、独占欲が強い兄が母を独占したがって母が弟である僕に働き掛ける隙を与えないようにひっきりなしに母に話し掛け続けて、母はそれに応えているだけだった、という意味で、僕は、無視という或る意味で最も厳しい否定を、母によって、されてきたことになる。

そして、母は兄だけを育てて、弟である僕のことは、兄に育てさせればいいや、と思って放置し続けたので、僕は育った家庭環境内で兄としか関わりがなかったのだけど、兄は、僕の考えを全否定して僕を完膚なきまでに言い負かして何も言えなくさせて、一方的に喋り続けた上に、兄は自分の考えを弟である僕に分からせるために喋っていたのでなく、自分さえ分かっていればいいやというタイプだったので、自分が言いたいことを言っていただけで、僕は兄が言うことをいくら聞いても何を言っているのかさっぱり分からなかったのだった。

かくて、言語の習得が遅れた、僕は、言葉が心の古層に根差しておらず、深層に沈殿している言葉の意味をいちいち顕在化させずとも直に読み取れるという直感が働かないために、言語化することによって明瞭化しなければ理解できず、言葉を隙間なしにきっちり敷き詰めながらでなければ考えられない、大人になった。

子供は、まず言葉を口に出して言いながらでなければ考えられない段階から出発して、ついで言葉を口に出して言わずとも念頭に思い浮かべながらならば考えられる段階を経由して、しかるのち、言葉を口に出したり念頭に思い浮かべたりせずとも考えられる最終段階に至って、大人になるのだけど、僕は、言葉に頼らない思考ができる最終段階に至る前に大人になって成長が終わって、精神発達が止まって、手遅れになった、ケースだ。

精神発達の最終段階における、言葉に頼らない思考を、直感と呼ぶとすれば、確かに僕は直感が鈍感であるがゆえのコミュ障だけど、今からでも、まず長大な思考を展開して何かについて分かったら、ついでそれが考えなくても分かる直感のレベルに落とし込まれて要約短縮されるから、今からでも、考える力を、目一杯、行使して、直感力を、鍛えて、コミュ障を治していこう、と思っている。

駄文という題名で、書いた、この日記は、そのための、考えをまとめるための、自分語りの文章だった。
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