ホーム > mixiユーザー(id:766386) > mixiユーザーの日記一覧 > 孤独の意味を知る

mixiユーザー(id:766386)

2019年01月12日13:19

47 view

孤独の意味を知る

自己が他者に規定されることを拒否して、お仕着せられた見られる自己をかなぐり捨てて、誇大自己を噴出させる所に、統合失調症の本質があるので、統合失調症患者は自分を統合失調症患者と客観視しなくて、裸の王様であり続ける。

精神医学者レインは、統合失調症のことを、引き裂かれた自己と、呼んだのだけど、内的自己から、誇大自己を、外的自己として、噴出させて、外的自己と内的自己に引き裂かれているままに、統合失調症患者は、生きていこうとする。

統合失調症患者は、引き裂かれている自己を自覚してしまうことは、自尊心が傷付くことだから、自己と向き合うことが出来なくて、病識から逃げ回っているのだ。

このように、自己認識することは、自尊心が傷付いて恥ずかしいのにもかかわらず、なぜ僕は典型的な統合失調症患者と違って、一つの自己を二つに引き裂く方向しかないのでなく、引き裂かれた自己を統一しようと強く志向しているのだろうか。

僕の兄は「確かに僕は負けず嫌いで見栄っ張りだけど自分の非を認めることはできる」と言っていた。

見栄や体裁という対外的なものを気にして強がることと内省して反省して弱さを認めることが両立していて、偽りの自己にしがみつくのをやめて真の自己に立ち返ることもできる、兄は、育ちがいいのだ、と思う。

伊達に母からのマンツーマンの指導を施され続けてきたわけではない。

母は兄だけを育てて、僕は放置されてきて、育ちがいい兄にはあって、僕にはないものを、補うために、必要な、モラトリアム期間を、結果的に、延長してもらえている、ということから、推して知るべしで、僕も、育児放棄されてきたようでいて、実は或る意味、純粋培養されて育った、お坊ちゃまなのだろう。

だから、誇大自己を剥き出しにしている裸の王様でありながらも、裸の王様であることを恥じて否定して、本当は自信がないという根っこにある問題に、向き合おうとする、という、典型的な統合失調症患者においては、両立しない、反対方向への努力が両方向とも成立するのだろう。

見られる自己を気にしていなさすぎるようでいて気にしすぎている、という意味で、自己を見詰めなさすぎることを本質とする統合失調症と、自己を見詰めすぎることを本質とする鬱病が、併発している。

非を認めて自分を責めるほうの鬱病も、併発している、ということは、感じていることについて考えることができないことによって直感を根拠とすることができなくて思考が妄想になる統合失調症と、感じていることについて考えてしまうことによって感知していることを認知のまないたの上に乗せてしまい暗くなってしまう鬱病の、矛盾なき共存は、赤子が赤子のままで、大人になった、ということを、意味するのだろう。

赤子は、あらゆる正反対の極端が存在して中和して打ち消し合って無に帰している、という意味で、全性格にして無性格である。

正反対の極端を兼ね備えている、という意味で、大規模な自己を実現するまでに、時間が掛かる、大器晩成という言葉で言い表すこともできる、人間なのだろう。

裕福な家庭の生まれである、という意味では、僕は兄のような人間になることを目指すべきなのだと思う。

理系の兄は、中学校で、体育会系のクラスメイトたちにいじめられて、自分は嫌われる人間なんだという物凄い絶望を味わって、好かれる人間になるために努力しなければならない、と思って、大学では、自分をいじめるタイプの体育会系の人々のコミュニティに、敢えて自ら飛び込んで行った。

そのような、内向的にして外向的な、二極がどちらも潜在していなくて顕在化している、人間に、なることを、目指して、努力して、大人になるまでに、僕の良き理解者になった。

そのような、自己から遠く隔てられていながら自己へ接近しつつあるというダイナミズムを体現している、人間との、見解の一致を、考えに考えて、結局は、見ることになるのだろう。

考えていつか分かることこそ、僕が、外行きの自分を作って内心を見せない、孤独の意味を知る、飄々とした人になって、コミュ障を克服して、自己に近すぎてつらいために自己から遠ざかろうとしている人の気持ちにも、自己から遠いために自己に憧れて近付こうとしている人の気持ちにも、理解を示してあげられる、人間に、なることで、そこに、何らかの存在意義を見出して、遅れ馳せながら社会と共感でリンクして、低い自己肯定感を高めることができて、七つに光って、健全な人間として完成することに、つながるのだろう。

周りの人は周りに流されて生きているのだろうけど、僕は認識によって社会化される必要があるのだろうと思う。
5 8

コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月16日 03:14
    他人に絶対合わせないといけない何て言うことはない。それよりも自分だけでも楽しめて幸せになっていること。その幸せが周りに伝搬することによって周りの人も勝手に幸せになるものだ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月16日 03:46
    > mixiユーザー 
    読んで下さってありがとうございます。
    コメントありがとうございます。
    なおぷーさんはステージが違いすぎて今の僕には真似しようがありませんけど、いつかそこに到達できることを諦めることなく、行動を楽しむ行動的人間になれるように、希望を持って、生きていきたい、と思いました。
    きっと、楽しむために必要な素地が、表向きの行動の裏地が、あって、初めて、僕が好きな、強さと悲しみを湛えた、それでいて、お茶目で遊び心に満ちた、かのショーペンハウアーのように、なれるのだ、と思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月17日 08:27
    それはみんな、思うことであって、それに憧れや希望を持つことで終わってしまいがちである。だからこそ行動を起こして行こうじゃないか、始めはほんの少しの事でもいい。雛が大人になって巣立つときの羽ばたきのような見よう見まねでもいいから赤ちゃんも覚えていくのではないですか?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月17日 08:47
    > mixiユーザー 
    昨日はありがとうございました。
    受動的な僕に行動させてもらえる機会を与えて下さったことに感謝します。
    絶望するよりは希望を持ち続けることがたとえ希望を持ち続けることに終わってもそれが原動力となって行動することになるので、絶望から希望へと這い上がりつつあるというダイナミズムを、頑張ってやりながら、終わりなき日常を、生きていきたいです。
    ほんの少しの事を評価できる自分になることも課題として意識的に取り組んでいきたいと思ってます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月17日 22:41
    頑張ってというのが我慢しているようでどうしても目についてしまいます。ときおさんはダブルバインドには合っていないとは思いますが、まずは楽しむこと。熱中して出来ることを色々とやってみることが先決だと思いました。ある程度、やり込んでみないと分からない部分もあるとは思いますが。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月18日 02:35
    > mixiユーザー 
    ありがとうございます。
    やり込んで、根性論の愚かしさを、分かるのかもしれません。
    やり通す根性が大切だということで行動してて、行動を中断して立ち止まって考える時間を設けなければ、経験に経験を上書きしてどんどんかき消してくことになって、経験が消化されないままに、糧にならないままに、水泡に帰するわけで、それでは人間は学習しない、ということを、悟って、内省も行動主義も、どっちも大切で、バランスが大切だ、という結論に至るのだ、と思いました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月18日 08:19
    そうですね。やり込んでみないとわからない楽しさもありますから。ただ、今はあまり無理が聞かない体だと思ってご自愛ください。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年01月19日 08:03
    > mixiユーザー 
    ありがとうございます。
    西友のレジのバイトに挑戦して、使い物にならないことが判明してすぐ解雇されたときに、店長から、あなたが駄目な人間だと言ってるんじゃない、あなたの病気が悪いんです、社会復帰を焦るのでなく、じっくり治療に専念したらどうですか、と言ってるんです、と言われたことを、思い出しました。
    ジョハリの窓という概念が教えてる通り、自分を客観視することは難しく、他人にしか分からない自分を見抜いてくれた上での有難い的確な助言だったのだなあ、と、やっと、自分の問題が見えてきつつある、今にして、思います。

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する