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2020年09月30日03:53

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私家版(地下版?)ゴジラに至る道:その10

<ゴジラ映画にみる戦争体験の風化 10>

*初代ゴジラを機龍に変えてしまう時代としての現代 4

 機龍をよみがえらせた人々が自らの行為に無自覚である代償なのか、この映画では2人の女性が機龍に思いをはせる様が描かれますが本当の意味で機龍のかかえているものに届いたといえるのかどうか。次はこの点も見ておく必要があります。芹沢の苦悩が彼女たちに解体分散される過程で取りこぼされたものもあるように思うからです。

 この映画で悩みや苦しみを背負っているとみなせるのは機龍のオペレーターとなる家城茜と湯原博士の娘沙羅です。茜はゴジラを迎え打つべくメーサー車を運転していましたが、撤退の混乱の中で仲間の車両とぶつかって崖から転落させ、ゴジラに踏みつぶさせてしまいます。現場を解任された彼女はそれでも黙々と自らを鍛え続け理解ある上司の推挙で機龍隊に配属されますが、そこにはゴジラに踏みつぶされて殉職した隊員の弟葉山がいて彼女に敵意をむきだしにするという展開です。この映画では茜に多くを語らせず仲間を死なせた自責の念から何がなんでもゴジラを倒さねばと思い詰めていく姿を描いています。茜役の女優の演技は立派で演出意図は十分に達成されていると思うのですが、演出が少し寡黙さにこだわりすぎた感じで自責の念と打倒ゴジラの決意は充分伝わるものの、その先がやや不明瞭です。それは湯原博士の娘沙羅との会話に出てくる「望まれなかった命」という言葉の根拠になるはずの自分は生きていてはいけないという思いで、さすがにこれは黙劇だけでは表現が難しいので唐突に感じます。自責の念が単にゴジラを倒したいというレベルなのか、ゴジラを倒して自分も死ななければならないというところまで思い詰めているのかがそれまでに明らかになっていないと、この会話は成立しないものです。ついでにいうと、ここでの沙羅との会話では自分が天涯孤独の身であったことも語られますが、これも言葉だけで出てくるので二重に唐突です。過去の身の上を2時間弱の映画に盛り込むのは難しいので、これはこの会話の前に茜が死ぬ気でいることをあらかじめ描いておけばよかったのだと思います。たとえば機龍隊に配属直後の葉山とのトラブルの直後に「すべてはゴジラを倒すまでのことよ」という独白が1つあるだけでも、かなり違うのではないでしょうか。

 ともあれ茜は自らを生きていてはいけない存在と捉え、それゆえに機龍を自分の同類と感じているはずなのです。でもそれは、彼女自身の体験に基づく思いを機龍に投影しているのであって、機龍の本質と関係があるとは必ずしもいえません。まずこの点を押さえておきたいと思います。


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