第三の野営:風渡る岐路にて その十三
農夫イエネの話が終わった。だがあまりに無惨なその内容に、グロスは言葉どころか声すら発することができなかった。やがて沈黙に耐えかねたのか、若き農夫が声を荒げた。
「おい、なんとかいってくれよ!」
「あ、ああ……」
やっと声だけ出たものの、言葉までは続けられぬその様子に、相手の顔に得もいわれぬ表情が浮かんだ。
「……あんた、なんか俺たちみてえな腑抜けた面してるじゃねえか。ひょっとして化け物なのはあんたじゃなく、あの旦那のほうなんじゃねえのか?」
「な、なんたることをっ、ボルドフはれっきとした人間だ!」
さすがに声を上げてしまうグロスをまじまじと見つめるイエネだったが、やがてふうっとため息をつきつつ頷いた。
「わかったよ、あんたがいうんだったらそうなんだろう。俺には少なくとも殺す気満々で襲ってきやがったあの外道どものほうがよっぽど化け物に見えた。あれが人間だったというなら、確かにあんたたちだってそうなんだろうさ」
応えに窮するグロスの様子を眺めつつ、またもため息を漏らす若き農夫。
「俺、人間ってなんなのか判らなくなってきたよ。あんたたちについてきてひでえ目に遭ったといいてえのは山々だが、少なくとも俺たちを住める所に連れてきてくれたのは確かだ。それに」
立ち上がり背を向けてから、イエネは続けた。
「あの外道どもに出くわしてねえ女房連中は俺たちみたいに感じてねえし、俺たちもとても説明する気になんてなれねえ。だから俺からいっておく。ありがとよ、ラナを、娘を助けてくれて」
出ていった後の垂れ幕さながらに揺らぐ思いをグロスが持て余していると、外からイエネの声がした。
「こら! なんでついて来たんだ。おっ母あにぶたれても知らねえぞっ」
とたん、垂れ幕をくぐり入ってきた小さな姿。間違いなくあの子だと思ったグロスだったが、顔には覚えがなかった。だが思い出した。あの時は顔を見る余裕すらなかったのだと。
すると幼子は歩み寄り、とまどう白衣の神官を見上げつつ小さな手を差し出した。そして舌足らずな声でいった。
「こえあげゆ」
だが差し出されたものに目を見開いたグロスに、そんな声は届いていなかった。紐でゆわえられた小さな石、白い、三日月形をしたその石しか目にも入っていなかった。
奇跡だ! そうとしか思えなかった。知らず彼は跪き、それを押し戴いていた。見覚えのなかった小さな顔がたちまち潤んだ。入ってきたイエネの姿すら、もう見ることはできなかった。
「おい、帰るぞ」
その声はおろか、我が子の前に額ずく神官を見て伸ばした手を浮かせたままあっけにとられる姿にすら気づけずに、涙にむせぶグロスは同じ言葉をただ繰り返すばかりだった。
「神よ……、神よ……」
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