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2020年04月13日23:31

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古典の磁場の中で:その21 2人の有名指揮者:前半

 ここまでステレオ時代に入るとモノラル時代に比べてテンポが遅くなり始め、特に緩徐楽章については70〜80年代に実時間でも全曲の比率で見ても一つのピークに達するものの、90年代に入るとそれが緩和され始める傾向が大まかに見て取れたわけでしたが、ともに2回この曲を収録したショルティとマリナーにもドホナーニと同様そんな傾向が見て取れます。今回はこの2人について書いてみたいと思います。

ショルティ/ロンドンSO(1954年)モノラル
11:50/04:28/09:04/08:52
計34:14 序奏2:55(24.6%)
(34.6%・13.0%・26.5%・25.9%)

マリナー/アカデミー室内O(1979年)
12:47/04:28/11:36/10:06
計38:57 序奏3:45(29.3%)
(32.8%・11.5%・29.8%・25.9%)

ショルティ/シカゴSO(1985年)
15:54/04:19/10:57/08:56
計40:06(反復あり)
(39.7%・10.7%・27.3%・22.3%)
12:58/04:19/10:57/08:56
計37:10(反復除外)序奏3:31(27.1%)
(34.9%・11.6%・29.5%・24.0%)

マリナー/アカデミー室内O(1993年)
15:21/04:09/10:31/09:35
(38.8%・10.5%・26.5%・24.2%)
計39:36(反復あり)
12:31/04:09/10:31/09:35
計36:46(反復除外)序奏3:34(28.5%)
(34.0%・11.3%・28.6%・26.1%)

 上の表はいつもと同じく録音年代順に並べているわけですが、ご覧のとおりショルティはモノラル期の50年代からデジタル初期の80年代、マリナーはアナログ末期の70年代から20世紀末の90年代にかけての歳月の変化を見て取れるわけで、彼らの再録音がどちらも初回録音には見られなかった冒頭楽章における提示部の反復を取り入れているところに楽譜の指示を遵守することが一般化したあの時代を思い出さずにはいられません。そしてショルティが彼本来のやや即物的な感触を保ちつつも31年後の再録音ではバーンスタインやカラヤンのような後期ロマン派的なバランス面での特徴を強めていたのとは対照的に、ショルティの再録音に僅かに先んじた彼より叙情的な音楽性の持ち主だったマリナーは、14年後の再録音ではショルティとは逆に緩徐楽章をやや速める反面でフィナーレを相対的により遅く設定することを通じ、コントラストよりも全体の流れの統一感を重視する方向に調整を加えているのです。そういう意味で彼らは共にその時期に好まれた流儀を察知しつつ、それを自分たちの音楽性と矛盾することがないよう馴染ませながら演奏していた。それがこれらの遺産からまず窺える時代の子としての彼らの姿勢です。

 それにしてもこうしてショルティとマリナーを聴き比べると、今さらながら彼らの演奏家としての非凡さも痛感させられます。ショルティの新録音は旧録音に比べて遅い部分はより遅くなっているにもかかわらず、リズムの刻みがはっきりしていてフレーズを引っ張らないので停滞感をまったく感じさせないのがいかにもこの人らしく、カラヤンみたいにチャイコフスキーっぽく聞こえることがありません。メンデルスゾーンにしては明らかに構えの大きい演奏でありながら、それが場違いには聞こえないのです。遅めのテンポをキープしながらも旋律を粘らせないので推進力が落ちず、各部の表情は主に歌い回しの硬度の違いとでもいうべきもので描き分けていくので後期ロマン派的な耽溺に決して陥らないその音楽作り。シカゴ時代の膨大な録音には交響曲だけを例にとってもハイドンからマーラーに至る広いレパートリーがあるわけですが、それらが決して場違いに感じられないのも彼の音楽作りのこういう特色が特定の様式のみに最適化されたものではないからだとつくづく思うのです。
 音楽家としてのショルティは、その意味では芸術家というより名職人と呼んだほうがふさわしかったのかもしれません。どんな曲もその対応力の広い音楽作り一本で処理してしまう彼は解釈を頭で考えるというより音楽というものに対する勘で仕上げる趣が確かに感じられ、それが手がける曲の作りをはっきり解き明かす成果を常に確保しているため、情緒的な強調が皆無でも不足感につながってこないのです。彼がワーグナーのシリーズで忘れえぬ成果を挙げたのは彼のスタイルがワーグナーに最適化されていたからでは全くなく、いかに巨大で破格なものであろうとも、音楽として演奏し聴けば必ずわかるという確信に裏づけられた職人としての手つきゆえのことであり、だから彼の演奏ではカラヤンのようにワーグナーまがいのメンデルスゾーンにならずにすんだ。それが解釈というものにもっと自覚的だったマリナーとの最大の違いだったことも今回の聴き比べで痛感させられたのでした。

 職人としてのショルティが新旧録音で見せた違いは時代が好むスタイルが旧盤の時点における新古典主義的なものから新盤では後期ロマン派的なものに移行したことが主たる原因であり、彼の職人としての姿勢には31年の歳月にもかかわらずなんら違いがなかったというのが実感です。それに対して旧録音の14年後に新たな録音を世に問うたマリナーの場合は曲を扱う手つきとでもいうべきものがはっきり変わっています。次回はその点に触れてみたいと思います。


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