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2018年08月25日14:32

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古典の磁場の中で:その17 フロール盤に映るもの

 今回はフロールによる交響曲に加えて主な管弦楽曲と協奏曲も収めた全集盤についてですが、この演奏の特徴を掴むにはピアノ協奏曲、それも2番について触れる必要がありそうです。


フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)


 クラウス=ペーター・フロールはキャリアの早い時期に東独の崩壊があったせいか録音と縁の薄い指揮者の一人で、旧RCAに残されたこのメンデルスゾーンシリーズはその録音歴を代表する随一の大きなプロジェクトで今もあり続けています。5つの交響曲に主要な管弦楽曲および協奏曲に加え「最初のワルプルギスの夜」をも収録したこのシリーズは、ボックスに纏められたことで管弦楽分野におけるメンデルスゾーンの業績を一望できる優れたセットとしてお勧めできるものになっています。
 そしてメンデルスゾーンの様々な録音をここまで年代順に聴き続けてきて思うのは、この演奏は20世紀型の演奏様式の一つの帰結と位置づけることもできるのではということです。スタインバーグ以降主流を占めるに至った古典的な様式感の重視を基本としつつ、70年代から80年代前半にかけてクラシック界を席巻した重厚さや荘重さへの過度の傾斜を免れたこの演奏は、広上のような意味においては決して個性的で読みが深いとはいえませんが、だからこそメンデルスゾーンの淡彩な音楽の意味合いを曇りなく伝えてくれていると感じるのです。
 広上盤ともども1990年代の幕開けに立ち会ったフロール盤ですが、ナチス禍により本格的な研究が遅れたメンデルスゾーンの場合、録音という形でそれらの成果が一般層に届き始めるのがちょうどこの時期以降からになります。フロール盤の解釈に新奇な要素が感じられないことの、確かにそれも一因には違いないのでしょう。この「スコットランド」も聴いてみれば、その特徴をどう言葉にしたらいいのか考えあぐねるほど変哲のない演奏にも聞こえます。学究的な演奏の特徴でもある提示部の反復がないことも含め、この演奏がメンデルスゾーンの演奏史における新たな潮流に根ざしたものでないのも確かです。その点ではこの録音に先立つマズアの新盤のほうが、むしろ来る解釈を予告する特徴を歴然と打ち出してさえいたほどです(マズアという人は、本当に不思議な指揮者でした)

 結局この演奏は、曲のどこかを特に印象づけようというような演出的な誘惑を拒み通し、いかなる細部にも平等に向き合い心をこめて丁寧に演奏するというある意味では当前のことを貫徹しただけの演奏としかいいようのないものですが、それがメンデルスゾーンの音楽になにをもたらしているかを知る上でこのセットにピアノ協奏曲が含まれていたことは僥倖といわねばなりません。なぜなら番号付きの2曲、特に2番のピアノ協奏曲こそは交響曲以上にメンデルスゾーンの音楽の特質とそれが行こうとしていた方向性を、それらが同時代の協奏曲のあり方とかけ離れていた分だけ明瞭かつ純粋な形で示唆していると考えるからです。
 ダヴィッドの助言によりソロに終始光が当たるよう修正されて完成をみたヴァイオリン協奏曲に比べて、ピアノ協奏曲の人気は低いです。SP時代から多くの録音がなされた前者に対し、後者はLP時代に入ってようやく1番が録音され始め、2番の録音はステレオ最初期のケイティン/コリンズ盤の登場を待たなければなりませんでした。そしてそこで耳にしたのはむしろオケの方が名技性を発揮しているとさえ聞こえかねないほどシンプルなソロパートを、そのまま忠実になぞっているだけのようなケイティンの姿だったのです。それはオペラのプリマに例えられる絢爛たる独奏楽器がオケをむしろ従えるような当時の協奏曲の通念からはおよそかけ離れたものでした。しかもその傾向は1番より2番のほうがより強くさえなっていて、だからこそ2番が1番より録音される機会が少なかったのも直感的に理解できたほどでした。
 けれどそんなケイティンの奏でる力みも気負いもなにもない、ひたすら静かな佇まいのピアノの美しさ! むしろより大きくさえあるオケの起伏にも流されず、一筋の清流がその水面に絶えず天空の流転を映しているのにも似たいわば受け身の叙情性。独奏楽器があくまでオケの一員だったバロック時代の合奏協奏曲から通常のロマン派協奏曲とは逆向きに進化したようなこれら2つのピアノ協奏曲の道行きはメンデルスゾーンがピアニストであると同時に指揮者だったことも一因ではあったのでしょうが、やはり彼の美意識そのものがその後の潮流となる後期ロマン派と一線を画するものだったのが根本的な理由との感が深いです。

 そんなピアノ協奏曲の決して多いわけではない録音のうち大半が、これらの曲をわざわざ普通のロマン派協奏曲の地平へと引き戻そうとするかのごとき演奏で占められている現状はあまりにも悲しいものです。派手なタイプのピアニストは最初から録音さえしないのですが、ペライアやシフのような人々でさえピアノパートの簡素さに耐え難いかのようにテンポや起伏の操作により少しでも技巧的に聞かせようと奮闘することで、無理矢理さばかりが露呈する結果に堕していたのです。そんな中フロールのタクトでこれらの曲を担当したセルゲイ・エーデルマンというロシア系とおぼしきピアニストが、どこまでも曲の意を汲んだ演奏に徹してくれているのを初めて耳にしたときは、本当に救われた心地さえしたほどでした。そのとき改めてこのセットでは決してどの1曲たりとも無理をさせていない。外付けの表現で歪めたりしない。それこそがこのプロジェクト全体を貫くコンセプトだったことを思い知らされたのでした。
 メンデルスゾーンの音楽は鏡です。演奏者の技量や音楽性のみならず、曲に向き合う姿勢までも映さずにおかぬ鏡です。そんなセンシティブな音楽にどこまでも虚心に向き合った姿勢こそが、この全集のかけがえのない価値の源泉だと嘆じるばかりです。


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