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2018年08月11日06:55

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古典の磁場の中で:その16 広上盤の示唆

 いよいよこのリストも1990年代に入りますが、その最初を飾る2つはいずれもロマンティックなスタイルに根ざしながら、にもかかわらず全く対照的な性格の演奏でした。


広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)


 広上盤は日フィルのコンサートライブ盤を発売する楽団自身の独自レーベルによるもので、放送局直属のため膨大な放送音源の蓄積を誇るN響を別格とすれば最も早くオフィシャルレーベルを立ち上げた楽団の一つです。広上との録音もいくつもあり、この「スコットランド」は後の「イタリア」「宗教改革」と共にメンデルスゾーンの標題付純器楽交響曲シリーズの劈頭を飾るものになっています。そしてライブゆえにある日ある時の実演における姿の記録となっていることが、良くも悪くもこの盤を特徴づけているのです。
 序奏から極めて多情多感な演奏で、非常にイメージ豊かです。こういう音楽を創る人は日本人演奏家には珍しいと思うほどで、淀みない速めのテンポの中に流転する表情の変化には目を見張るものがあり、この調子ならと先行きを大いに期待させます。
 それだけに主部に入った瞬間、通常の3倍は遅いのではというほどテンポを落とすのは誤算というか聴き手の心理を見誤ったのではないでしょうか。あまりにも振れ幅が大きすぎてそれまでの細やかな表情づけの印象が消し飛んでしまい、また何かしでかすのではという妙な構え方を聴き手がしてしまうのは曲はもちろん演奏家にとっても得になるとは思えないのです。しかもこの遅いテンポは主部の入りのこの主題だけであり、再現部を終えて再び主部に入る時に回帰する以外はここまでの遅さにならないため、他の部分は身構えていた分だけ普通っぽい展開に聞こえてしまいます。才に溺れたとの印象を正直なところ拭えません。
 ただ改めて全体を見ると、この演奏はこの頃は定型化して久しかった古典的な解釈、すなわち第1楽章では序奏のテンポよりも主部が速く、フィナーレでは主部のテンポよりコーダを遅く演奏させる流儀のことごとく逆をいっていることも窺えます。広上が後期ロマン派を最も得意とする指揮者であることも考え合わせると、ここでの広上の解釈は全体としてロマン派ふうの内容を有しながらも古典的な形式感の残滓めいたものも残しているこの曲のありかたに対する疑問なり異議申し立てという意味合いがあったのは間違いなさそうですし、その意味ではやりたいことがやれた演奏だったのかもしれません。演奏そのものは必ずしも完成度が高いといい難い四半世紀以上も前の録音がいまだに売られていることを思うと、この曲に対する彼の考え方はこの時点からさほど変わっていないのではという気もするのです。
 そういうふうに考えてくると、あの度はずれたテンポの変化はあるいは広上の感じていたもどかしさの発露だったのではという奇妙な想像さえ浮かぶのです。より新しい要素を内部に抱え込みつつも、最後まで古典的な形式の残滓を捨てられなかったように見える「スコットランド」という交響曲。この曲には本来それがゆこうとしていた道、取ろうとしていた姿への想いをかき立てずにおかぬところが確かにあり、メンデルスゾーンがもう少し大胆だったらと広上のような指揮者であれば考えてもおかしくない。僕でさえ決してそう感じないわけではないのですから。
 けれどメンデルスゾーンが踏み込まなかったからこの曲がいま残されている形になったのだとしたら、その思いへの共感なしに現状の形を活かす演奏は難しいのではとも広上の演奏に接すると感じるのです。それは彼が20年近く後の2009年に相次いで同じ日フィルと収録した「イタリア」と「宗教改革」のライブ盤にも感じることでもあり、より古典的なスタイルの両曲なだけに広上の指揮もそれを正面切って壊すような解釈ではないものの、ともすれば濃密な情感が曲を膨張させるような趣が拭えないのも確かであって、変わりきれなかったそれらの曲にどこまでも寄り添った演奏とは感じにくいものが残るのです。そのような姿勢があったなら彼の演奏は解釈というよりそのあり方の点において、あるいはワインガルトナーの演奏に最も近い位置を占めるものでさえありえたのでは、とも。
 いま入手できる日本人指揮者による録音中では最も早い時期のものである広上盤はその類まれな表現力と、大胆な解釈を支える曲に対する真摯かつ批評的なまなざしにより、極めて示唆に富む内容になっていると思います。けれど個性的な演奏であるということは、最後の最後で曲に滲む作曲家の個性との距離が問われることを免れない事態も暴き出しているようにも感じます。それを念頭に置くことで、次はこの演奏と対照的な性格のフロール盤について考えることにいたします。


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