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2018年04月30日17:19

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古典の磁場の中で:その14 初録音と再録音

 今回取り上げる2枚の「スコットランド」はいずれもLPではなくCDで買った最も初期のものですが、フィッシャー盤は若手指揮者の新鮮さを、そしてマークの再録音は30年近いキャリアを積んだ円熟ぶりを、それぞれ強く印象づけたものでした。なおマークは比較のため旧録音のデータも併記しています。


I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

 ステレオ時代以降「スコットランド」の解釈はクレンペラーやマズアなどの例外を除くと第1楽章の序奏を遅く主部を速くし、第3楽章を粘らせるという後期ロマン派的な濃厚さ重視の解釈が幅を利かせていたのですが、僕にとってこの曲最初のCDだったフィッシャー盤はそういう定型から大きく離れた解釈で、序奏のほうがむしろ速いというのは購入当時やっとこういう演奏が出てきたかと感じ入ったものでしたし、さらりと歌われる第3楽章も実に素晴らしく、重く厚ぼったい冬服を脱ぎ捨てたような爽快さがこの楽章のあるべき姿を描き出したとの手ごたえさえ感じさせてやみません。細部の表情は個性的ですが、それが全体と連動しているので読みの深さとして感じられます。第1楽章の複雑さと後続楽章の平明さを対比しているのが解釈のコンセプトですが、それはあたかも後のブラームスの2番やマーラーの3番を遥かに予告するものと位置づけているようでさえあります。併録された「フィンガルの洞窟」や同時期に出た「イタリア」「宗教改革」も実に素晴らしく、80年代における最も説得力あるメンデルスゾーン演奏の一つだと当時も今も思います。なおこの頃はCDの工場がまだ数少なかったので、コロムビアから出た国内盤だけでなく本国ハンガリーのフンガロトン盤もコロムビアでのプレスと記されていますが、やはり高域がメタリックな音色になりやすいのでシステム側でつや消しして聴きたいところです。


マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 解釈そのものは旧盤同様、当時主流だった後期ロマン派ふうの定型に従ったものですが、30年近い歳月の経過が旧盤の欠点を一掃させているのが素晴らしく、マークの3つの録音中ベストの完成度を誇るものです。細部の表情がうまく全体に波及していなかった旧盤に対し、このベルン盤では細部それ自体が目立たずに全曲の流れに溶け込んでいて、それでいて定型的な解釈が単調に陥らないよう隠し味的に機能しています。遅いテンポも粘りではなく静かな落ち着きを感じさせ、第3楽章がより速くなった点もあいまって停滞感を免れています。フィッシャーほど第1楽章の表情を細かく描き分けてはいないのですが、提示部の反復がこの楽章の曲折を代償していて、この反復の意義を明らかにしているとともにフィッシャーの読みと結果的に近くなっているのは興味深いです。アバド同様解釈家というより音楽家と呼びたいマークですが、アバドとは逆にキャリアが進むにつれて自分の音楽性をより自然に発揮できるようになったと見えるところが感慨を誘います。IMPレーベルが活動を停止しているため長く入手困難な状態が続いているのが惜しまれますし、手持ちの国内盤はファンハウスレーベルとしてまとめて出たときにプレスを担当したのが東芝EMIのためコロムビア以上のメタリックサウンドでアコースティックな響きでの再生は大変ですが、うまく鳴らせば名匠の至芸を堪能できる1枚です。


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