先日バーンスタイン/イスラエルフィルによる「スコットランド」「イタリア」「宗教改革」の再録音が買えましたので、「スコットランド」をニューヨークフィルとの旧録音と比べてみようと思います。なお彼は1番と2番「讃歌」の録音は残していません。
バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)
バーンスタイン/イスラエルPO(1979年)
13:55/04:05/11:15/09:55
計39:10 序奏4:07(29.6%)
(35.5%・10.4%・28.7%・25.3%)
全体では1分弱タイムが伸びているのですが、第1、4楽章が前より長くなり、逆に第2、3楽章が短くなっています。それによって前半2楽章は緩急の落差が前より大きくなっている反面、後半2楽章は対比を弱めた形になっています。大きな変更ではないので演奏自体の印象ががらりと変わるわけではありませんが、通常のフィナーレのイメージで速いテンポを設定すると曲全体の流れから浮きがちになるこの曲の特質を考慮して微修正したとも受け取れる変化のように感じます。
それより大きな変化として感じ取れるのは細部の表情がより入念なものになっていること。旧盤では1つのテンポで通していた箇所に新盤ではテンポの動きが導入されている例が随所に見られます。特に両端楽章で増えていますが、終楽章のコーダが全曲の結びとなる部分だけにとりわけ印象的。その手つきがアバドのように曲の文脈における役割の解をひたすら考え抜くというより感情の流れの脈絡重視になっているのがこの時期のバーンスタインならではで、以後の彼はより遅いテンポの中でいかなる細部にも濃密な感情を込めた演奏スタイルへの傾斜を強めていくのです。そして80年代、彼にとって最後の10年に入ると、その演奏は込めた感情の真摯さによって訴えかけるものにますますなってゆき、とりわけマーラーの演奏で多くの支持を得たのでした。
そこに込められた感情が彼自身のものであるがゆえに感じさせずにおかぬ迫真性でいえば、彼の演奏はフルトヴェングラーに並ぶでしょう。けれどそれはどんな曲を聴いても同じ音楽に聞こえてしまうという点においてもフルトヴェングラーに匹敵する結果となったのであり、だから僕は母国アメリカの聴衆に多様な音楽を紹介する啓蒙家たらんとしたニューヨーク時代の彼を懐かしまずにいられないのです。演奏している瞬間に曲を私物化するのは確かに演奏家に与えられた一個の特権であろうと思うのですが、それは時空を異にする他人の書いた音楽が自己表現の道具になることと無縁ではありえない境地であり、聴き手としての僕はそんな陥穽になるべく陥らずにすんでいる演奏で聴きたいとついつい思ってしまうものですから。
しかも80年代のバーンスタインの場合、演奏において表出される感情に苦渋の翳りがつきまとうのが気になってしかたがありません。それが似合う曲ならともかく、ニューヨーク時代より絞られた再録音の全てがそれにふさわしい曲目だったとも思えないのが正直なところで、かつて担保されていた普遍性めいたものが損なわれたと感じてしまう演奏が多いのはつらいところです。
そんな再録音にも時期の早いものには旧盤よりいいと思えるものもあって、最初期のベートーヴェン全集は旧盤よりスケールと熱気が一回り増した演奏が彼の新たな境地を印象づけましたし、80年代に入ったブラームスでは苦渋の色が似合う曲であった上に旧盤がいささか才気に溺れた失敗作だったことにも助けられ、バーンスタインのブラームスとしてはより成功しています。そしてそれらに挟まれたこれらのメンデルスゾーンでは「宗教改革」「イタリア」そして「スコットランド」におけるそれぞれの独自性も損なわれていませんし、「宗教改革」と「スコットランド」で旧盤より深くなった翳りの色もこれらの曲との接点を保ち得ていると感じさせてくれるものになっていて、過渡期ゆえの微妙なバランスがプラスに働いた稀有な例に数えたいと思うのです。
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