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2017年09月20日18:59

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古典の磁場の中で:その10 クレツキの見た先には

 今回は1954年収録のクレツキ盤をLPから復刻したCD−Rが入手できたので、前後するスタインバーグ盤やマーク盤とも比較しつつコメントさせていただきます。


スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 こうして並べるとクレツキはスタインバーグとマークの双方と共通点を持つことがわかります。まず第一印象として感じるのがテンポの遅さ。マークとほぼ同じ38分というタイムはスタインバーグに比べ4分余り遅くなっています。たかが4分という方もおられるでしょうが、実際に聴くとこの34分弱と38分という差は思いのほか大きく、クレツキとマークからはスタインバーグのような一筆書きめいた印象を受けることはありません。むろん聴く側の個人差もあるでしょうが、少なくとも僕には第1楽章の提示部の反復なしでのトータルタイム35分というのが分水嶺になるようで、ワインガルトナーやスタインバーグの風をイメージさせる演奏はここでいったん失われるのです。アバドの旧録音が水のイメージになるのも基本テンポが遅くなるからですが、そのアバド盤と同じ時期に収録されたサヴァリッシュが僅かながらも基本テンポが速いため、先人たちの美質を受け継ぐ形になっているのは見逃せません。ワインガルトナー、スタインバーグ、そしてサヴァリッシュたちの演奏で細部のほんの僅かなテンポ変動が大きな印象の変化として感じられるのもひとえに基本テンポが遅すぎないからで、クレツキやマークだとより大幅にテンポを変えないと基本テンポの遅さの印象を覆せないのです。マークが細部の表情にこだわるわりに効果的に感じられない最も大きな要因はまちがいなく基本テンポの設定にあると思います。もう少しでも速ければそれら細部のテンポの揺れが遅すぎる基本テンポに吸収されず、全体の印象を左右しえたはずだと思うのです。
 ではクレツキとマークの違いはといえば第3楽章と第4楽章のバランスです。マークは先行するミトロプーロスや後のバーンスタインやアバドやカラヤンのように第3楽章に多く時間を割いていますが、クレツキはスタインバーグや後のドホナーニ、マズアの新録音のようにほぼ同じ時間で演奏しているのです(ちなみにワインガルトナーのようにフィナーレの方がタイムが長くなっているのがクレンペラーやマズアの旧録音で、サヴァリッシュも僅かながらもフィナーレにより時間が割かれています。またマークは2回目の録音では両楽章のタイムが同じ、3回目ではフィナーレの方が長くなっています)また第1楽章の序奏を主部に比べ速めのテンポにしているのもワインガルトナーやスタインバーグと同様で、マークの初録音はその点でもバーンスタインやアバド、カラヤンと同じです。ただ基本テンポが比較的速めのアバドはともかく、マークのテンポになるとバーンスタインやカラヤンより振れ幅を抑えているのが仇になって、それらのテンポ設計が生むはずのコントラストが控えめになってしまい、全体としてなにを目指しているのかが見えづらい演奏に感じられてしまうのが残念です。後の録音で第3楽章のテンポが一貫して速められていくのも、あるいはそんなテンポ設計が機能しなかったと本人も感じていた表れかもしれません。

 奇しくも当時、クレツキとマークはメンデルスゾーンの交響曲をこの「スコットランド」しか録音していなかった一方で「真夏の夜の夢」の歌唱入り8曲の抜粋版を収録していますが、演奏のコンセプトは対照的です。マークは「スコットランド」と同様にやや遅めのテンポで丁寧に表情をつけていて、彼のテンポ設定がどちらの曲も同じ感覚というか生理的なものに基づいてなされているのではと感じさせる面があるのですが、クレツキはがらりと異なる速いテンポで演奏していて最小限に抑えられたテンポ変動が最大の効果に繋がっています。明らかに彼はこの2つの作品で対応を変えているのですが、この「真夏の夜の夢」は僕にとってワインガルトナーの「スコットランド」と同様これ以上を容易に求めがたい突出した存在で今もあり続けているのです。
 クレツキのこの2つの盤を、僕はCD登場の直前に中古の初期LPでほぼ同時に買ったのでしたが、その違いはクレツキという指揮者が単に作曲家ごとのスタイルの違いに留まらず作曲された時期や曲ごとの性格に応じてコンセプトを大きく変える人であることを強く印象づけたのでした。彼は明らかに2つの曲を異なるものとみなし、それを演奏に反映させようとしている。では彼はこの2曲にどのような違いを見たのだろうか。そしてその違いが片方では類まれな成功に結びついたにもかかわらず、もう一方がそこまで成功しなかったのはなぜなのか。そう感じた遠い日に、僕は当時、若くして完成された天才型の作曲家と評されることがほとんどだったメンデルスゾーンにも、早世ゆえに完成には至れなかった発展段階があったのではないのかと肌で感じさせられたのでした。クレツキが見ていたのはそういうもので、でもそれが成功に繋がらなかったのはそれがいかなるものになるはずだったのかを彼が読み違えたからではないだろうか。そう思ったことでメンデルスゾーンの死はロマン派の発展史における一つの可能性の喪失だったのではとの考えが生じ、それがその後この作曲家に対する尽きぬ興味の源泉となったのです。


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