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2017年08月30日21:39

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古典の磁場の中で:その7 ヴァイオリン協奏曲手稿版

 先日入手したメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の手稿版に基づくCDを聴いたことに関して、いささか脇道になりますが記しておきます。
 1844年版とも表記されるこの版は1988年に発見され、翌年に復活蘇演されたものですが、僕は当初さほど興味を持ちませんでした。というのはこの曲の初演と出版は翌1845年のことであり、現行版とたいして違わないのではという先入観があったからです。そもそも当時の名ヴァイオリニストだったダヴィッドの意見を取り入れて完成されたというこの超有名曲は、どうも僕にはあんまりメンデルスゾーンらしからぬというか、一般的なロマン派ヴァイオリン協奏曲といった定型に収まりすぎているように感じられ、特に2番のピアノ協奏曲のような独自性が年代の割には薄く思えて仕方がない印象で、あまり追いかけてみようという気にはなれなかったというのが正直なところでした。
 それをとりあえず確かめておこうと思ったのは「スコットランド」のシャイー新盤や有田盤で用いられた1842年版が、変更箇所自体はさほど多くはないものの意外に大きな印象の差を感じさせるものだったからでしたが、購入した2種の国内盤の解説を併せ読むと手稿版はダヴィッドの意見を取り入れる前の状態だということでしたので、どういう点に違いが出ているのか俄然興味をもって聴いたのでした。
 結論からいえば構成そのものはほとんど違いがありません。部分的に旋律線が異なっていたり第1楽章のカデンツァが別物だったりする程度です。むしろ大きな印象の違いと感じたのはソロの音程が現行版に比べオクターブ下がっているところが方々にあって、そういう箇所ではヴァイオリンがバックのオーケストラに溶け込んでいることのほうでした。換言すればダヴィッドの助言はソロの埋もれている箇所をより目立たせることを目指すものだったということになります。
 たしかに華やかさは現行版のほうが断然上でより当時の流行というか趣味に近いのはこちらだと思いますが、その分ヴァイオリンが出ずっぱりの感も否めずピアノ協奏曲などに比べると単調に感じてしまう原因にもなっているように思えます。もし手稿版のままだったらその分地味になっていたでしょうし時代の流行には合っていなかったかもしれません。けれど前景と背景の間を行き来する様にはピアノ協奏曲に共通する美意識が明瞭に出ていて、水草の間を縫いながら泳ぐ魚にも似た不思議な自在さが感じられます。それはこれまで現行版ではなかなか感じられなかったものであるのと同時に、ワインガルトナーによる「スコットランド」の古い録音だけが感じさせる風のような流麗さの感覚と共通するものでもあるのを感じ、そうだったのかと腑に落ちたというのが偽りのない気持ちでした。

 メンデルスゾーンの目指したロマンは当時のスタイルとは別物だったのではないかというのは主にピアノ協奏曲を聴いて感じていたことでしたが、ようやく聴いた手稿版によるヴァイオリン協奏曲もその傍証になるような気がしています。今後はこのことも念頭におきつつ進めていければと考えています。

 なお2枚のCDの録音についてですが、優秀なのは断然桐山の独奏と諸岡/オーケストラ・シンポシオンによるALM盤です。ホープの独奏とヘンゲルブロック/ヨーロッパ室内OによるDG盤は例によってこのレーベル固有の石灰質の音色でALM盤とは大差がついています。いずれも手稿版の特色を理解しているとおぼしきバックに比べ独奏が強すぎないように配慮されているのがわかる収録だけに、DGのおそらく製盤過程に基づく音色の癖がいっそう残念でなりません。


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