mixiユーザー(id:7640532)

2021年05月05日23:04

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第5301話  鍾馗になりたい男の子

ゴールデンウィークが終わるそうですよ。
なんかこれと言ったイベントがなかったので大型連休っぽさはありませんでしたね。
ビッグバンセオリーを楽しんでそばつゆを作ったってだけですか。
非日常感は無し、でも大丈夫、現実の方が非日常的になっているから。

どうも、ともんじょです。

連休の最後はビシッとした映画をご紹介。
「三島由紀夫VS東大全共闘」です。
「VS」って入っていたからてっきりボクは怪獣モノの映画かと思っていました。
けどちがっていました。
おい、ツタヤ金返せぇー。っていうのは嘘で。
ちゃんとわかって借りて見ましたよ。
1969年に東京大学駒場キャンパス内で開催された、作家の三島由紀夫と、当時の学生運動の中核をなしていた「全学共闘会議(全共闘)」の公開討論会を当事者の証言と実際のフィルムで描いています。
右翼:保守の三島と左翼:革新の全共闘が、言葉のみでぶつかり合ったことが伝説となっていました。
その討論の内容のレベルの高いこと高いこと、何言ってんのこの人たちは?ってなりますよ。
各々の国家観や死生観についてって言えばいいのかな、それよりも高次元の話だったような気もします。
最初は普通に見ていたんです、日本映画だから字幕もなく普通にね。
ところがさ、繰り出される言葉のやりとりの情報量の多さや難しでついていけなくなりそうなったので、
あえて日本語字幕を入れてみました、文字情報になってくれたおかげで意味はわからずとも話していることをの可視化ができただけでも少し救われました。
字幕なしだったら30分で頭から煙を出して死んでいたかもしれません。
それくらいレベルが高くて難しい、けど、なんとなく言いたいことはこんな感じかなとはなりました。
なので、今後見る予定の人はぜひ日本語字幕を出してみてください。
でね、三島由紀夫と言えば右翼オブ右翼でしょ、「天皇」っていうものへの崇拝がすごい人っていうイメージがありました。
ただ、なぜあそこまで狂信的になれたかが疑問だったのですが、この映画の収穫はそれがわかったような気がしたんです。
そして、その天皇観や国家観っていうのは現在の保守層とは違うものだっていうことがわかりました。
天皇は支配者としての存在ではなくて、絶対的で完璧な理念の塊であるってことで。
今現在、いらっしゃる「天皇陛下」とは違う、概念的な存在であることがわかりました。
そう考えると今の右翼思想っていうのは支配するにあたって、天皇っていう存在を使って、
国民を支配する、存在で、国家がその天皇を政治的に利用することが目的なんです。
これってかなり違いますよ、国家の装置の一つであるっていうのと。
その枠からすらはみ出る絶対的な存在の天皇ですから。
三島由紀夫と今の右翼は似て非なるものになります。
ただ、一つ気になった部分っていうのがあってね。
右の三島に左の全共闘にたいして、中間っていうのか民主主義や自由主義の存在がないがしろになっちゃっていて、戦後自由主義を謳歌しているボクは一般ピープルをお忘れですよって言いたくなりました。
すごく頭を使うんだけど、所々にユーモアを交えてわかりやすく話す部分もあったり、
なにより、三島自身は相手の意見を全否定してたたきつぶして黙らせようとすることをしないで、
ちゃんと意見に耳を貸して、自分はどう思うのか言葉でかえしたっていうのが素晴らしかったと思いますよ。
今はそんなことできる人ってすごく少なくなりましたよね。
「自分はこう思う」っていうことすら少なくなりました。
こういうところは見習わなくてはいけないですね。
難しかったけど、なんだかんだでおもしろい映画でした。
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