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2019年12月07日13:52

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『幸福路のチー』(ネタバレあり)

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見てから一週間がすぎたのに、幸福路の人びとに対するなつかしさは心を去らない。

台湾の名門大学を卒業し、いまはアメリカで暮らすチーのもとに、祖母が亡くなったという知らせが入る。故郷、台湾の幸福路に帰ったチーは、そこで小学生のころの親友たちと再会するのだったが・・・。

幼いチーが、引っ越しのトラックの荷台で、母親に行先をたずねる。母親が「幸福路」と答えると、チーはかさねて訊く。
「幸福って何?」
それを聞いた父親は、「この子は大物だ。たいそうな質問をする」といって腹をかかえて笑う。
「幸福って何」というのが、この映画のテーマである。父親のセリフは、監督が半自伝ともいえる物語に託して伝えようとしたテーマの大仰さを、自身に向けて揶揄したもの、ともとれそうである。
幸福とは何か。古来、さまざまな哲学者が回答を試みてきた。それをテーマにするのだから、作者が自らを嗤いたくなる気もちもわからないではない。
しかし、その難しい問いに、この映画は一つの答えを与えることに、どうやら成功したように思える。

ベティは台湾人だが、金髪で青い眼をしている。チーとは小学校時代、親友だった。
父親は米兵で、ベティが生まれてすぐアメリカに帰ったきり、連絡がとれなくなっている。大人になった彼女は、ショウダンサーをしながら2人の子どもを育てているが、相手の男性とは別れたようだ。それでも彼女はいう。
「あたしいま、わりと幸せなの」
悪ガキの少年シェンエンとチーのあとを、いつも遅れてついて行くようなベティだったが、いまの彼女はチーがまぶしく感じるほど、母親としての自信と喜びに満ちている。彼女が「幸せだ」というとき、それが強がりでも何でもない真実であることを、観客は信じることができる。
彼女の幸せには「欠け」があって、完全なものではない。しかし、そのくらいの疵のある幸せのほうが、われわれにとってはむしろ扱いやすい、手ごろな幸せといえるのではなかろうか。
チーはシェンエンとも、偶然再会する。
かれは子どものころから大道で宝くじの当たり番号を予想して稼ぐ仕事をしていて、小学校も父親の都合でやめさせられる。
再会したシェンエンは、バイクの販売店の店主になっていた。店を構えるまで、かれはどれほどの苦労をしたのだろうか?
二人にくらべると、チーはいちばん恵まれているといえる。なにしろ両親がそろっているし、いつも味方になってくれる祖母がいた。
そんなチーだったが、じつはいま人生の大きな岐路に立っていて、その矢先の祖母の死だったのである。

台湾の現代史をきちんと知っている人って、どのくらいいるのだろう? 偉そうにいうわたしも、皆目知らなかった。
『悲情城市』(1989年台湾)を初めて見たとき、映画のなかで行われていることの意味がわからず、混乱した。戦後、日本の支配を脱したはずなのに、学生たちは誰に対して、何に抵抗しているのか。しかも拷問や銃殺まで行われている。・・・
チーの物語は『悲情城市』よりずっとあとの時代だが、戒厳令は1987年まで解除されることはなかった。従兄のウェンは視力に障害を持っているが、それは検挙されて拷問を受けたときの後遺症であることが映画では語られる。
そうした台湾の戦後史を、幸福路の人びとの眼をとおして、まるでかれらといっしょに生きてきたかのように体感できるのも、この映画の魅力の一つといえそうだ。

できるだけたくさんの人に見てもらいたい映画である。
とはいえ現在のところ、きわめて限られた地域と劇場で、ほそぼそと公開されているにすぎない。残念でならない。

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