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2016年05月08日18:26

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我やさき、人やさき

作曲家・編曲家の冨田勲さん亡くなる 84歳
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3981879

蓮如上人>第十六通 白骨の御文

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おおよそはかなきものは、
この世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期なり。

されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきか
ず。
一生すぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。

我やさき、人やさき、
きょうともしらず、あすともしらず、
おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。

されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の
風きたりぬれば、
すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、
紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、
六親眷属あつまりてなげきかなしめども、
更にその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事ならねばとて、
野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、
ただ白骨のみぞのこれり。

あわれというも中々おろかなり。

されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきも
のなり。あなかしこ、あなかしこ。

(現代語訳)
 さて、人間の定まりのない有り様をつくづく考えてみますと、およそはかないものとは、この世
の始中終、まぼろしのごとき一生涯であります。人が一万歳生きたとは、いまだかつて聞いた
ことがありません。一生は過ぎやすいものです。末世の今にいたっては、いったい誰が百年の
命を保ち得ましょうか。我がさき、人がさき、今日とも知らず、明日とも知らず、人に遅れ、人に
先立ち、根もとに雫がしたたるよりも、葉先の露が散りゆくよりも繁く、日々老少定まることな
く、人は死んでいくものと言われています。それゆえ、朝には紅いの血気盛んな顔色であって
も、夕には白骨となる身であります。今にも無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに
閉じ、一つの息は永遠に途絶えてしまいます。紅顔もはかなく変り、桃李のような美しいすがた
も失われてしまうのです。そのようなときには、家族親族が集まって歎き悲しんでもまったく何
の甲斐もありません。そのままにもしておかれないと、野辺に送り火葬して、夜半の煙となって
しまえば、ただ白骨が残るばかりです。あわれといってもなお十分ではありません。人間のは
かないことは、老少定まりのないこの世界のならいです。ですから、どの人もはやく後生の一大
事をこころにとどめ、阿弥陀仏を深くおたのみ申し上げて、念仏するのがよいでしょう。あなか
しこ、あなかしこ。

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