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2019年06月19日12:06

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言葉狩り前夜

「前夜」というのがそもそもだいぶおとなしい表現ですが。

私は韓国、朝鮮の人たちを、特に好きでも嫌いでもありません。国家体制や政治家は別として、友達もいますし。

だから「どこ(誰)に向けて」という特定の話ではなく、これら「ヘイトスピーチ」や「差別発言」に分類されたりその周辺にあったりする事項一般について、という話です。
まず、基本の基本として、「そういうのはよくない」という一般論については、100%賛成です。一定の配慮とか、傷つく人への想像力は勿論必要です。そしてそれが「どこまで」「どの程度」必要かというその基準は、発言の場面、発言者の地位や(その発言の場における)立場、その発言を耳にすると想像される人の範囲(ほとんど「発言の場面」と重なりますが)などによって一律ではありません。

だから、この場面における、この人の、この発言がセーフか、というと、そこはたしかに問題だなあ、とは思います。間違いなく問題はあります。
しかし同時に、このへんが全部完全アウトなのだとすると、面白いコメント、厳しい批判、辛辣な表現など、全部ダメになっちゃうんじゃないの? という気もします。

勿論、マスコミという強い力を持つ者対、在留外国人、手首を切る(かもしれない)ような精神的不安や苦痛を抱えている人、という対比において、弱者により強い配慮が必要だというのもわかるし、「面白い」ことと引き換えに、仮に少数の人であっても(もしくはだからこそ)それを傷つけて良いのか、という議論も批判も理解します。


しかしそれでもなお。

なんでも無難な、当たり障りの無い意見や見解や表現だけを並べていても、なんだかなあ、と思うのです。
少なくとも今回のこの発言、「面白い」「うまいっ!」とは思うのだけど、「こういうのが全部」ダメなんでしょうか。
社会で生きていくってことは、誰にとっても弱点やコンプレックスというものは存在し、そこを触られて痛い思いをすることって、「お互い様」であるものなんじゃないでしょうか。
だからこそ、「弱者、痛い思いをする場面が多く、また反論も反撃もできない人達をより強く保護するべきである」、それもまったくその通りだとは思うのだけれど。

でも、なんだか…。



■作家の岩井志麻子氏、収録番組で差別的発言 関テレ放送
(朝日新聞デジタル - 06月18日 11:07)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5668104
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