mixiユーザー(id:7184021)

2016年07月14日06:40

1551 view

古戦場めぐり「岩屋城の戦い(福岡県太宰府市)」

古戦場めぐり「岩屋城の戦い(福岡県太宰府市)」

◎『岩屋城の戦い』
「岩屋城(いわやじょう)の戦い」は、日本の戦国時代に、九州制覇を目指す薩摩の島津氏が、大友氏の家臣・高橋紹運が籠る岩屋城を落とした戦いです。苛烈かつ激戦であった攻城戦といわれています。高橋紹運は僅か763人で、島津軍数万に対し半月間守り通し、島津軍に多大な犠牲を与えながら、全滅した壮絶な戦いがあったとされます。
九州南端の薩摩国より北上してきた島津氏は、『肥前の熊』と恐れられた龍造寺隆信を天正12年(1584)の沖田畷の合戦で敗死させると、大友氏の領国である筑前国に侵攻にかかりました。島津義弘は5万の大軍を率い、また、島津方に寝返った秋月・龍造寺氏らの軍勢を合わせた、約10万の大軍が筑前国に攻め入ったのです。勝尾城の筑紫広門は、岩屋城の前砦として島津勢を食い止める立場にありましたが、子の晴門が鷹取城で戦死したために戦意を失ってしまい、島津氏の軍門に降りました。豊後国を本拠とする大友氏の威勢は既に衰え、自力では島津氏の侵攻を防ぐこともできず、羽柴秀吉の援助を仰いでいました。これを受けて、羽柴勢が九州へ兵を送ることは明白だったので、島津勢は岩屋城の攻略を急ぎました。
天正14年(1586)7月、島津勢は島津忠長・伊集院忠棟率いる6万の軍勢で岩屋城を囲みました。岩屋城を守るのは、武勇の誉れ高い高橋紹運です。合戦を前にして、紹運に立花山城の立花宗茂から、「岩屋城よりも要害の立花山城に移るように」との勧めもありましたが、紹運はこれを断わりました。秀吉の援軍が到着するまで、岩屋城で島津勢の足止めをしておけば、立花山城の宗茂は助かるだろうと見込んでいたのです。宗茂は立花家に養子に出しこそすれど、紹運の嫡男でした。紹運は籠城に先立ち、二男の統増(立花直次)とその手勢は宝満城に戻るように告げ、当人以外に跡取りのいない将兵、老幼婦女子や病人なども城から退去するよう命じました。結果、岩屋城の総兵力は763人を残すのみとなりました。
島津勢の攻撃は7月14日に開始されましたが、寡兵でありながらも高橋勢の奮戦は凄まじく、26日になっても島津勢は城の外郭を破ったにすぎませんでした。寄せ手の犠牲者があまりにも多いことから、島津忠長は降伏勧告というよりは、講和に近い妥協案を持ちかけましたが、紹運は、「主人の盛んなときには役立つ武士はいかほどにも候。衰えたるときに腹を切ってこそ誠の武士にて候」と、断固として開城には応じない姿勢を見せつけました。しかし、相手は6万もの大軍であり、しかも後詰の援軍もなかったために、先は見えていました。
7月27日、紹運は天守の扉に辞世をしたためると櫓に登り、敵味方の見守る中で自刃しました。それまで生き残っていた数十人の将兵も、城兵に続いて自決したといいます。寡兵でありながらも、7月14日からの攻撃によく耐えていました。この合戦における島津勢の損害は、討死3000余、手負いが1500余といいます。高橋勢は763人の全員が玉砕といわれ、戦国史上まれに見る激戦はこうして幕を下ろしたのです。

○「岩屋城」(太宰府市大字観世音寺字岩屋)
「岩屋城」は、築城年代は定かではありませんが、天文年間(1532〜55年)に高橋鑑種によって築かれたといわれます。この城は大宰府の北、大野城のある四王寺の一部、標高281mの岩屋山に築かれています。本丸跡からは、太宰府市の市街地がよく見渡せます。余り遺構が残っていないと思われていますが、『福岡の城郭』に掲載された縄張図には、本丸から南の山腹に広がる遺構が良く描かれています。本丸の周囲には林道が通っていますが主郭と帯曲輪が残り、子孫によって建立された「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑は有名です。北背後には土塁と堀切が残っています。本丸の南西下にある高橋紹運と勇士の墓がある部分が、二ノ丸とされます。紹運は23歳で岩屋城主となり名将の誉れ高く、天正14年(1586)7月、島津軍諸将より降伏を勧められますが、「主家が盛んなる時は忠誠を誓い、主家が衰えたときは裏切る。そのような輩が多いが私は大恩を忘れ鞍替えすることは出来ぬ。恩を忘れることは鳥獣以下である」と、敵味方が見守る中で言い切り、この発言に敵味方関係なく賞賛の声が上がったそうです。ちなみに、降伏勧告は計5回、島津方から3回、味方である立花宗茂と黒田孝高から、岩屋城が防衛に向かないために、城を捨てて撤退せよという趣旨で1回ずつ受けましたが、いずれも使者を丁重にもてなし、勧告を断っています。そのようないきさつもあり、岩屋城跡には39歳で亡くなった紹運の墓と、763人の城兵を弔う慰霊碑が建てられています。紹運の辞世の歌は、「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する