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2019年12月11日05:54

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坂本龍馬の同志たち


最後まで坂本龍馬の最高の相棒だった者は中岡慎太郎(1838〜1867年)でしょう。土佐の国安芸郡の庄屋の家に生まれます。幼い頃から神童といわれるほど賢かったのです。7歳の頃には勉強の為、8キロメートルも離れたとなり村の塾へ、片道1時間半から2時間もかけて通っていました。14歳になると、塾で先生の代わりに教えるほどでした。

武市半平太から剣術を習ったことから、武市とともに土佐勤王党のリーダーとなります。しかし、土佐藩の締め付けが厳しくなってきたため、脱藩して長州へ逃げました。長州で、いまの日本でやらなければならないことは、幕府を倒し、外国に負けない武力を持つこと、そのためには、薩摩と長州が手を結ばなければならないと考えるようになります。

坂本龍馬も全く同じ考えでした。中岡慎太郎は坂本龍馬より三歳年下です。同じ土佐の生まれでも、育ちが違いましたが、近江屋で命を落とすまで、ともに倒幕に力を尽くした同志でした。

剣の達人で長州藩のリーダーであった、桂小五郎(1838〜1877年)は、長門の国の和田家という医者の家に生まれました。8歳の時に桂家の養子となります。14歳頃、剣術の道場に入門しました。めきめきと腕を上げ、江戸にまで修行に行き、免許皆伝の剣士となったのです。

一方、学問は吉田松陰の松下村塾で学んでいました。吉田松陰も驚くほど優秀だったといいます。外国の事情を知ることにより、力の衰えた幕府を見限って、天皇中心の新しい政府をつくろうという、尊王攘夷の考えに傾き、藩の意見をまとめると、朝廷にも働きかけました。

ところが、幕府と朝廷の結びつきを強めようとする会津藩と薩摩藩によって、長州藩は京都を追い出されます。しかし、桂はひそかに京都で活動を続けました。そのため、幕府側に命を狙われたが、何とか危機を乗り越えることができました。

その後、木戸孝允と名前を変え、坂本龍馬の仲立ちによる薩長連合のときには、長州の代表として、薩摩の西郷隆盛や大久保利通と手を結び、のち「五箇条の御誓文」の案をつくりました。明治新政府でも西郷、大久保とともに参議という重要な職についたのです。

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