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2019年09月16日07:16

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鍋をめぐる関東と関西

松尾芭蕉がこわごわ食べて、幸せいっぱいになったという「てっちり」。「てつ」は鉄砲のことですが、では、「ちり」とはなんなのか。答えは単純で、煮立った鍋のなかで切り身がちりちりと縮むからだそうです。

「ちり」がつく鍋は、ほかにも、「たらちり」や「かにちり」などがあります、「たらちり」は、てっちりとちがって、庶民の鍋の代表格で、居酒屋のメニューでもおなじみです。「ちり」がつく鍋は関西風の水炊きが基本です。

昆布だしの鍋で煮て、ポン酢で食べるのです。いっぽう関東では、「寄せ鍋」系が主流で、出汁に醤油で味つけて煮ます。また、「たらちり」以外は、「かに鍋」とか「ふぐ鍋」と「鍋」をけることが多いです。

たまに、「チゲ鍋」と書いてある店がありますが、韓国語ではチゲは「鍋」だから、「なべ鍋」といっているようなものでこれはおかしいです。ほかに、「鳥すき」とか「うどんすき」などのように、「すき」をつけるものがあります。

「うどんすき」は昭和3年(1928)、大阪の「美々卯」で考案されたとされていて、現在は商標登録されています。ちなみに美々卯の社長は石原莞爾生誕120周年祭の実行委員長でした。新年会も江川達也先生などと一緒に京橋の美々卯で行いました。

いまは、関東も関西も「すき焼き」ですが、昭和10年ごろまでは東京では「牛鍋」が主流でした。「すき」をつける鍋料理は関西風ということです。江戸時代には「どうじょう鍋」が流行しています。ドジョウの骨を抜いて開き、笹がきゴボウを敷いた土鍋にドジョウをならべて卵とじにする。つまり「柳川」です。

福岡県の水郷の町・柳川市が本場だとする勘違いする人もいますが、じつは柳川は店の名前でした。『守貞謾稿』によれば、天保(1830〜43)のころに江戸で骨抜きドジョウを売っていた男が料理茶屋を開き、その屋号を「柳川」といったと言います。

ただ、これには諸説あって、はっきりしていません。江戸の「どじょう鍋」は、ひと鍋二百文が一般的でした。江戸後期の貨幣価値を考えれば、いまなら四百円前後で、けっこう高級な料理だったようです。
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