今週の「廃墟通信」の「幻想美術選」では、
ローマ皇帝・ヘリオガバルスにまつわる作品を取りあげたのであるが、
その解説文を書いていて..
この少年皇帝は、暗殺というか虐殺されたのである。民衆と軍の怒りを買って。
その理由はいくつもある。有名なのは異常な性的放埓だが、それだけではなく、
一方的で独善的な宗教改革。「ウェスタの処女」を手籠めにし、宗教的権威を..
..ここまで書いたところで、止まってしまった。言葉が出てこない..[;_ _]
(..年寄りあるあるではあるが..[;_ _])
..損害..じゃない..損壊..でもない..
..侮辱..違う違う..蹂躙....
..冒涜だ!冒涜したんだった!
..何を? [;_ _][;_ _][;_ _]
さんざん回り道をして、ようやく適切な「言葉」を発掘できたのだが、
その言葉を適用する当初の目的を、今度は思い出せない..[;_ _][;_ _][;_ _]
(..その後、さんざん時間をかけて思い出せたので、
いま、この文章を書けているんですけどね。[;^J^])
しかしここで、このように悩める場合は、まだいい方なのだ。
「何かを失った」ことが、認識できているのだから。
極めてしばしば、
「そもそも何かを悩んでいたこと」自体が、
「そもそも何かを考えていたこと」自体が、
全て、脳内から消滅しているのだから。
「消滅したことすら、認識できぬままに」!
「誰もいない森で倒れた木は、音を出したか?」、という、有名な命題がある。
「その“思考A”を思い出す(憶えている)」“思考B”が存在しないとき、
“思考A”は、そもそも最初から存在していなかったのと同義ではあるまいか?
やがて、外部から連続して観察し続けても、
私の思考が、全て“無”になる(“無”と見なすべき)日がやってくる。
それが、究極の幸福なのだろうか?
..というSFがあったような気もするが、
この“思考”自体も、遅かれ早かれ“無”に帰すのである..
廃墟通信、更新しました。
http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruinc11d.html
(今週号の目次は、
2021年01月25日:発注2件
2021年01月26日:GT−S650/「NINIFUNI」
2021年01月27日:ようやく発送されました [^J^]
2021年01月28日:幻想美術選「ヘリオガバルス帝の薔薇」ローレンス・アルマ=タデア
2021年01月29日:雪パラつく
2021年01月30日:執行猶予1ヶ月 [;^J^]
2021年01月31日:ようやく見つけた! [^.^]
です。)
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