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2021年05月10日02:28

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「父から子への」キリスト教

高橋保行『ギリシャ正教』(講談社学術文庫)を読む。以前から手元にあったが、未読・積読だった。読む気になったのは、最近、古代ローマと古代キリスト教関連の本を読んでいたので、その関連分野として。

奥付を見ると、著者は1948年生まれ、日本ハリストス教会の司祭である(「ハリストス」はロシア語由来の「キリスト」)。この本は1980年第1刷、2008年25刷。そんなに古い本だったかと、また著者が執筆当時30歳そこそこだったのに驚く。

ギリシャ正教(東方教会などともいう)についてまとまった本を読むのは初めてなので(立花隆『エーゲ海 永遠回帰の海』には聖山アトスへの訪問記があったが)、見慣れない用語にやや戸惑う。ただ受けた印象をギリギリ煎じ詰めると、日本と世界のキリスト教(理解・受容)の主流であろうカトリックおよびそれから分かれたプロテスタントよりも、正教の方が「より原始のオリジナルなキリスト教に近い」のではないか、ということになる。

一つ例を挙げると、クリスマスと復活祭の位置づけ。カトリックやプロテスタントではともに年中行事の一つにすぎないが、正教では復活祭が圧倒的に大きな大祭である。もちろん復活する前に誕生と死があるとはいえ、そもそもキリスト教はイエスが死した後に「復活した」こと、「復活を信じる」ことが起源であり、大前提である。そこから原始のキリスト教は誕生した。また、イエスが生き、活動した時代のローマ帝国東部の共通語がギリシャ語であり、新約聖書もギリシャ語で書かれている。

さらに正教会では、カトリックが教義や理論に傾くのに対し、「生き方」そのものに重きを置く。キリストの生き方を学び、自らも実践しようとする。修道には必ずそれを導く「師父」が付くが、彼らは修道を行う弟子たちの「父」であり、「ギリシャ正教継承の父」である。また修道におけるほど厳格ではないが、一般の信徒に対する「神父」も同様である。

正教会では、耳慣れた言い方での精霊を「聖神」、聖母マリアを「生神女マリア」、三位一体を「至聖三者」、典礼を「奉神礼」、ミサを「聖体礼儀」等々と呼ぶとのこと。

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