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2022年01月31日00:41

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鎌倉殿の13人をどう楽しむか?

『鎌倉殿の13人』矢文を放つ“八重”新垣結衣にネット興奮「鳥肌立った」「惚れた」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=100&from=diary&id=6832384
1、批評の不在といういまの日本の嘆かわしさ
ガッキーの矢文ぐらいで、そんなに喜んでいては知的ではない、と私は思う。というかこの鎌倉殿については、まともな批評がほとんど聞こえてこない。メディアもゼッサンばかりで首を傾げざるをえない。批評とは悪口ではなく、作品の美点と欠点をきちんと整理して分析することで、それがドラマや映画を見る最大の楽しみであるのだ。で問題は、ここまでの展開をどう見るか?である。挙兵に至る頼朝の心理描写があまりにもあっさりすぎないか?西田敏行との悪夢コントでごまかしているような気がする。
2、大河ドラマで明らかになる喜劇作家としての三谷幸喜の軽妙さとその限界
三谷幸喜は基本的に喜劇作家だから、シリアスやダークは苦手なのだ。恋愛ドラマも苦手、照れ臭くてダメなんだろう。だから今までの大河ドラマでもそういう欠点はあったのだ。『新撰組!』では青春時代は無難にのりきったが、後半になって近藤勇が苦しむ回が多くなってくるとドラマが停滞する。『真田丸』でも、後半、堺雅人のシリアスなシーンが多くなるとやはり停滞した。そして今回は、まだ源平合戦が始まったばかりだが、平家が滅亡して鎌倉幕府が開き、頼朝が死ぬと北条義時の権謀術数が始まって将軍二人の暗殺にも関わっていくのだが、同じように停滞するのではないか?さらに後半のクライマクスは承久の乱だが、そこをどう描くのか?注目するのはそこだろう。
3、群像劇で主人公が置いてけぼり
大河ドラマは登場人物が多く群像劇になるのだが、三谷幸喜の悪い癖は主人公よりも脇役に夢中になりすぎるところ。新撰組!では近藤勇よりも他のメンバー、真田丸では草刈正雄、そして今回の鎌倉殿では、大泉洋と小池栄子だ。大泉&小池は、特に夫婦漫才化しているほどで、この傾向は頼朝が死ぬまでつづくのだろう。そしてそのあとは姉&弟漫才へと移行するのかもしれない。

ということで、脚本家・三谷幸喜は平安末期から鹿倉時代に至る武士の台頭をジタバタしながら書いているのがわかる。そのジタバタぶりを楽しむことが大切なのだ。ゼッサンも全否定もドラマや映画の鑑賞態度としてふさわしくないし、感動した!という感情論ではなにも見ていない、考えていないことと同じだろう。
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