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2018年12月17日09:08

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対照的な演技アプローチ、とはなんだね?

■鈴木亮平と瑛太、対照的な演技アプローチが光る 『西郷どん』最大の敵となった2人の結末は?
(リアルサウンド - 12月16日 12:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=169&from=diary&id=5421218
鈴木亮平が、デ・ニーロのように痩せたり太ったりするのに対して、瑛太は内面から構築していく?って、どこでそう判断できるの?それってただ外見のことをいってない?(笑)史実においても、西郷が大柄、体全体がとにかくデカイ、大久保は細面、あのヒゲでさらにいっそう精悍に見える、ってことなんじゃね?演技アプローチの問題ではなく!

さて今回の西郷どん、総括をレビューに書く予定だが、かつて変態仮面を熱演した鈴木亮平のフレッシュさ、知性によって抑制された感情の表現、幕末から明治維新を駆け抜けた革命家であり、軍人でもあった西郷隆盛の狂気と理性をみごとに演じきったと思う。今回特筆すべきは、奄美編で、ある意味死からの再生をはたす回では、二階堂ふみの熱演もあって、亮平・西郷どん、の魅力が豪華幕の内弁当のようにつまっていた。あの島流しをきちんとていねいに描いた西郷伝は今までなかったのではないか?

史実ではその島流しの地で、風土病に罹り(この大河ドラマでは熱病に苦しむということになっている)、睾丸が巨大なまでに腫れあがってしまう。その以降、股間が痛むために馬に乗れなくなったというのだが、もちろんそんなことは大河ドラマでは描けない。私は歴史上の英雄にときどきそういう男として深刻な事態に陥ることを不思議に思うのだ。あの司馬遷だって、宮刑によって男性器を失うという屈辱のなかで大著を残すという大逆転があった。

とはいえ、島流し先でも、ちゃんと子供を2人も作っているし、やはり西郷どんは尋常ではない。この巨大な金◯というのは、西郷人気を支えたひとつの要因ではなかったかと思うし、史実では城山で切腹し、介錯をさせた。その西郷の首を、埋葬のために残った遺体と合致させる作業のときに、目印になったのが、生きているうちに伝説になっていた巨大な金◯だった、というのだが、もちろん今回はそこまでは描かなかった。

また瑛太については、最終回の、西郷どんの死を知って号泣するシーンに、それまでの冷酷、冷徹さの本当の意味を見せようとした、その瑛太の熱意が迸っていた。明治の近代化は、大久保の死後、いっきに自由民権運動へと広がっていく、というのは中学高校の歴史の教科書にある通りである。

大河ドラマはながいあいだ日本の男の理想のモデルを描いて来た。くりかえし忠臣蔵や戦国武将がテーマになるのは、そこにリーダー論、理想の上司と部下論(信長と秀吉のように)を見出そうとする試みだった、朝ドラがいかに現代的な良妻賢母像を追求するのと、つねに対になってきた。そのオヤジ目線から抜け出そうとした大河ドラマが、福山の『龍馬伝』であり、朝ドラではくどかんの『あまちゃん』だった、というのが私の見立てである。

『西郷どん』は『龍馬伝』につづく、反英雄史観大河であったと思う。そしてついに大河にくどかんがやってくる!『いだてん』がどうなるのか?朝ドラに革命を起こしたように、大河にもくどかん革命が起こるのか?それともオヤジメディアは総反発するのか?いまから私はわくわくしている。




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