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2018年12月09日10:14

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テレビドラマ評はポエムではない。

■長谷川博己演じる萬平に学ぶ、信頼されるヒント 『まんぷく』“自分が一番大事”が示すメッセージ
(リアルサウンド - 12月09日 08:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=169&from=diary&id=5411006
朝ドラから学ぶ?いやはや、ドラマとはいつから教則本に成り下がったのだ?あるいはナルシシズムの吐露のようなポエムに成り下がったのか?

映画評も、小説批評も、テレビドラマ評も、同じなのだが、批評のポイントは、私が思うのに2つ。ひとつはリアルかどうか?虚構が現実を超えているか?未来さえも予知しているか?だ。たとえば時代劇における殺陣、クロサワ以前、以後ではっきりと色分けできる。クロサワ以前の時代劇の殺陣とは、東映の時代劇が代表だが、歌舞伎出身の俳優による演舞のスタイルであった。それを破壊したのが、クロサワの『七人の侍』であり、『用心棒』であり、『椿三十郎』だろう。使い古されたスタイルをいかに壊すか?にリアリズムがある。そしてふたつめは、アクチュアリティである。現代性、つまりいまなぜこのドラマが制作されなければならないのか?という制作者の根本的な思い、制作意義である。

傑作、良作と呼ばれるドラマには必ずこの2つがある。朝ドラも例外ではない。

前作の『半分、青い。』に欠けていたのはリアリズムであったし、アクチュアリティにおいても脚本家の思いが暴走してしまったので、カオスになってしまった。

で、安心の『まんぷく』なのであるが、リアルかどうか?について、たとえば戦後の描写において、それほどの斬新さはない。アクチュアリティにおいても、明らかに弱いと私は思う。苦労したってさ、結局は、大成功するんじゃん?という視聴者の思い込みを壊すだけの冒険も、サプライズもないことが致命的なのだ。現代史もの、は資料がきちんと残っていることが多いので、脚本家にとっては虚構の翼を広げる余地が少ない(それを広げ過ぎたのが、『半分、青い。』)。しかしドキュメンタリーものと大差がないとすればドラマ化する意味はどこにあるのか?が、今までのところ大いに不足しているのだ。

ポエムに落し込めば、ライターの個人感情の砂糖を何倍も入れればコーヒーだって飲めたもんじゃない。

そういうドラマ評の基本も、リアルサウンドの編集責任者は教えないのだろうか?




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