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2019年06月18日21:08

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『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』

『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』を読んだ感想を書き留めておきたいと思います。合わせて、ぼくが思う栗本薫/中島梓作品のことなども。この日記は一般に公開します。


まず、ご本はたいへん面白く読ませていただきました。非常に多くのひとに取材して書かれた本です。対象が故人ですし、たぶん評伝というのはこういうものがスタンダードなのだと思うのですが、この形式は栗本薫(と呼び捨てにさせていただきますが)を語るに最適だったと思います。

大作家でなくても、本質的に、人の本当のことなんてわからないものです。特異な人物であればなおさら。でもこの本では、周囲の人の、時に矛盾してさえ見える故人の印象をていねいに書いていくことで、本人の人物像を浮かび上がらせています。でもそれは、これで栗本薫を理解した!というようなものでは決してなくて。

人間の「中身」なんて、ほかの人には絶対にわからない。でもその「輪郭」は知ることができる。で、あれば、中身をのぞきこむことにやっきになるよりも、冷静に輪郭を見ることこそ、ぼくらが他人に対してできる誠実な向き合い方というものではないでしょうか。

その意味で、この本は誠実だし、この本を通して、ぼくらも極力誠実に、栗本薫を見つめることができる、その助けを得られる本だと思います。

良い意味でも、悪い意味でも、栗本薫はブラックホールのような人だった、というのがぼくの印象です。最近、ブラックホールを撮影した画像が話題になりました。ブラックホールは光さえ吸収してしまう。そのため、それ自身を撮影することはできないが、吸い込まれていく光を写すことでその輪郭が見えた、という画像でした。

この本も、栗本薫というブラックホールに引き付けられている周囲の人の言葉をていねいに追うことで、それ自体を見定めることがかなわないブラックホールの輪郭をとらえることに成功したのだと思います。

本書をお書きになった里中さんは、非常に慎重に距離感を保って書いておられて、それがこの本の信頼性を高めているのですが、これ以上近寄ったらブラックホールに吸い込まれてしまうということだったのかもしれません。

ほぼ同時に、今岡清さんという、完全にブラックホールに呑まれてしまった人(笑)の、ブラックホールの向こう側から書かれた本(SF的……)が出て、両方を読み比べられるのがまた良かったですね。


以下は、ぼくなりの栗本薫論なのですが。

中島梓の評論デビュー作もまさしく『文学の輪郭』ですけれども、栗本薫は「輪郭の作家」だったなあ、とぼくは思っています。

批判の意味あいで、栗本作品を「中身がない」なんていう人もいるのですが、そうだね、最初から中身を書く気なんてなかったね、というのが、ぼくの意見。

栗本薫は、世界と人間の、輪郭を驚異的につぶさに描くことで、世界と人間そのものを直接描くことなく、それをそこに存在させてみせた。そういうメソッドを持った作家ではなかったかと思うのです。

それは「パターン」とか「お約束」「様式」「あるある」といってもいいのですが、万事において、非常に的確に輪郭をとらえ、操ることができた。多くの作家が、必死になって中身を書こうとして、力及ばず、というか、そもそも中身を書くことなんてできるのかわからないなかで、栗本薫の描いた輪郭のなかに、読者は、直接書かれてはいない中身をたしかに感じたのではないでしょうか。それが栗本作品が支持された理由だったのではないかと思います。

『魔都 恐怖仮面之巻』のなかに、「この世界のひとは、ちょっとずつわざとらしい」というような表現(正確な引用ではないです)があったと思います。栗本作品の登場人物は本物の人間ではなく、でも、非常に緻密な輪郭があるがために、かえって本物の人間より本物らしく感じられてしまう場合がある。

中身を描かない輪郭とはすなわち空洞であり、その空洞には読者の想像力が流れ込む。勝手な想像はしかし、緻密な輪郭に沿うことで、そこには非常に精巧な本物が出来上がってしまうということだったのではないでしょうか。

こう言うと語弊があるかもしれませんが、それは至高のモノマネ芸と言えたかもしれません。特定の誰かのモノマネ、なんて生易しいものじゃなく、「世界と人間のモノマネ」です。世界と人間をコピーしてしまう能力と言ってもいいかもしれない。

これはご本人から口頭でうかがった話なのでソースが持ってこれないし、うろおぼえでもあるのですが、「非常に幼いころ、『自分の本の表紙』をつくって遊んでいた」(本文は書いていない)のだそうです。天性の物語作家なんて呼ばれていて、それはそうだろうと思うのですが、物語の中身(文章)を書くこととは別に、表紙という「ガワ」をまずつくっていた、というのが面白いですよね。

どうしてそういうことができたのか。ぼくは、栗本薫が世界と人間に対して、非常にメタな視点を持ち続けていたからだと思います。というか、そういう視点しか持てなかったのではないでしょうか。つねに、最初から、栗本薫と、「世界と人間」との間には距離があった。自分がその中にいなかったから、世界と人間のガワを観察し、輪郭を把握することができたのではないでしょうか。

などというようなことを、以前から考えていたのですが、今回、『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』を読んでその確信が深まったような気がしたのでした。


以上を、感想としておきます。


栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人
里中 高志 (早川書房)
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