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2021年04月11日09:52

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「逃げ」を肯定する私だが自殺は否定する理由

■侮辱罪法定刑、見直し検討=ネット中傷投稿の刑事罰―厳罰化に課題も・法務省
(時事通信社 - 04月11日 07:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6479555

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今回の事件(各論や個別事例)に関して言えばたしかに量刑軽いとは思うが。かといって全面的に侮辱罪の量刑なり適用基準なりを単純厳罰化する(総論)というのは疑問を覚える。

何をもって量刑の大きさを決めるのか?ということだが。

今回に関して言えば、被害者の受けたダメージ、社会的影響を考えると今回の量刑が軽いとなっているのだろう。仮に木村花さんが誹謗中傷を笑い飛ばし、今も呵々大笑で生きていたらこんな議論は発生していないだろう。

いじめを受けている人間が自殺することで相手を告発するという発想が嫌いだ。むろん被害者はいじめられていた側で責任は加害者の側にある。だが、自分の周囲の悲しみも顧みず、命を失うという「不可逆の逃げ」をする被害者にもある種の卑怯さを感じてしまう。

本来、私自身は「逃げという手段」については肯定的な人間だ。致命傷を避けるという目的のために逃げという手段を使う」わけだ。ところが自殺という逃げはそれ自体が致命傷を負うわけで本末転倒だ。

「それだけ追い詰められてたんだ」

追い詰められると視野狭窄で「自己焦点主義」となり、周囲の悲しみや迷惑に配慮できなくなるということなのだろうが。それでも社会的損失の大きさにめまいすら覚えてしまう。致命傷を負わないための逃げながら、被害の再生産をしないために自殺だけはせずに戦ってほしい。

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