mixiユーザー(id:7016667)

2021年01月24日16:11

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「差別」や「表現の自由」問題への答え(と自己流で思うもの)

最近のマスク問題や入れ墨問題、人種差別やLGBT問題、エイジズムやら「お母さん食堂」やら表現の自由、果てはコロナ対策まで対応できると個人的に思う考え方。

当たり前に完全に私見だが。
「自由」「平等」「博愛」の順序には意味がある。

まず「自由」その人の意思は基本的の尊重されるべきということ。ただし、行き過ぎて他人の自由を侵害してはならない。ゆえに「平等」という発想が来る。かといって単なる平等では救われない弱者がいるのでそこをフォローする努力目標としての「博愛」が来る。

自由とは「自分の領域」であり、「平等」は「他人の領域」にかかわる。それも超えてくると「環境の領域」として「博愛」がくる。

「社会的マイノリティ」を考えるとき、彼らが救済されるのは「博愛」においてだと思っている。社会的が成熟しているという条件をクリアした上での「努力目標」というレベルだ。

キレイゴトをどれだけ言ったところで、たとえば文明と言えるものがないような原始時代に上記のマイノリティを救済するには社会的リソースという「余裕」がなさすぎた。あくまでも現在の文明レベルとなり、周囲の理解が得られる範囲で弱者救済が行われているわけだ。

だから少数者や弱者から「自分たちは弱者だから救済されて当然だ!」という態度が出てくると「それは違う」と思う。まずは多数者が救済されてなければ「少数弱者による多数強者に対する搾取」という奇妙なことになりかねない。

たとえばLGBTや障碍者の方に関して言えば、まずは多数者である「男性用トイレ」と「女性用トイレ」が十分確保されたうえで、「余裕があれば」ユニバーサルトイレが設置されるという順序であるべきだ。ユニバーサルトイレの面積が大きすぎて男性用や女性用トイレの数が明らかに不足している!となれば本末転倒ということだ。

私にはマイノリティを不当に扱う意図はない。「可能な限り平等であり、救済されるべき」だとは思っている。ただ単に「社会的な優先順位」があると思っているということだ。

意見の多様性は守られるべきだし、反面あまりに不当で不快な意見は抑止されるべきだとは思う。基準が難しいところではあるが、「言動内容そのもの」を下手に加工せずに素直に見る必要があるだろう(たとえば「おかあさん食堂」とかエイジズムなどは過剰反応が明らかに多かろう。そこに差別の意図はないのに騒ぐ側が勝手に「差別の意図がある」と加工して騒いでいるようだ)。

単なる「好き嫌い」の話と考えるならば論理的な正解には至らないもの。およそ議論で解決できるものでもあるまい。純粋に有限な社会的資源をどのような優先順位で配分するか?という問題なのだろう。
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